当舎では東海道の歩き旅のガイドをしております。
東海道は面白いです。いろんなものがあります。あることに疑問を覚えて調べると、さらに知らないこと、わからないことが増えていきます。だから次々調べていく、そんな無尽蔵の面白さがあります。
東海道を歩く人は20年くらい前から増え始めました。そのためたくさんのガイドブックが刊行されているわけですが、東海道にはいろんなものがあり、わからないことも多いものですから、ガイドブックに書かれていないこともたくさんあるわけです。
今回お話しする仲六郷2丁目にある熊野神社も、書かれていないものの1つです。

現在は六郷2丁目となっていますが、この付近にはかつて雑色村がありました。「雑色」とは、ちょっと変わった地名です。
朝廷で雑用などの下働きをしていた人々のことを「雑色」といいました。大田区にあった雑色村の地名由来ははっきりしないところがありますが、それら朝廷で雑色を務めていた人たちが与えられた土地だとか、ここの出身者が都で雑色をしていたなどが地名の由来である可能性もあります。
雑色の地名は今はありませんが、京急線の駅名として残っています。この雑色駅近くあるのが熊野神社。小さいですけれども、江戸時代に編さんされた「東海道分間延絵図」にも載っている古い神社です。
神社自体は江戸時代からありますが、本殿は戦前に建て直されたものです。境内にある本殿再建の碑によると、老朽化したことから昭和6年(1931)に再建が発起されました。しかし戦争が始まり資材の入手が困難となりました。そのため本殿が完成したときは昭和14年になっていました。

この神社、境内を見てみるといろいろ面白いところがあります。
まずは鳥居のすぐ近くには橋があります。今は砂利が敷いてありますが、川の跡のようなものもあります。


力石です。この境内では一番古いものらしく、明治13年と書かれた碑が石の背後に建てられています。

天水桶です。陶製です。製作年代が書かれていませんので、いつ頃のものかはわかりませんが、後述の狛犬のこともありますので、おそらく昭和14年ころのものでしょう。
いかなる理由か、今は植木鉢として利用されています。

そして狛犬です。


こぶりですが、なかなか彫りのきれいな狛犬です。材質も花崗岩でできており、立派なものです。お金もかかったことでしょう。地元の人たちの神社に対する思いが伝わってきます。
ところで裏に回ると、台座に文字が書いてあります。

「皇軍武運長久祈願」
狛犬の奉納には在郷軍人会(予備役軍人の所属組織)もかかわっているようです。

昭和14年ころといえば日中戦争が激化し、日本は世界で孤立したことから、ナチス・ドイツと同盟を結んでアメリカなどと対抗し、それらの国との外交交渉が緊張感を増してきた時代です。
そのころの狛犬、しかも台座に刻まれた文字まで残っている。そのころがどういう時代だったか、その記憶をとどめるものとして、私にはとても貴重に思えます。
これからもこの狛犬など、時代の記憶を後世に伝えるものが長く残ってくれることを祈るとともに、これらの情報をより多くの人たちに伝えていかなくてはならないと、あらためて襟を正す気持ちとなりました。
(歩き旅応援舎代表 岡本永義)