日本橋です。

当舎では東海道の歩き旅イベント「日帰りであるく東海道」のほか、古地図散歩でもいくつものコースで訪れていますので、お馴染みの場所です。

日本橋の北詰には、「日本橋魚市場発祥の地」の碑があります。

日本橋魚市場発祥の地の碑

乙姫の姿をした碑です。この姫様、着衣なのにへそがある不思議な像です。

なぜか「へそ」

さて、かつて日本橋には魚市場がありました。「日本橋魚河岸」と呼ばれるこの市場は、佃島の漁師が幕府の許可を得て魚を売り始めたことが始まりとされています。

天正18年(1590)の徳川家康の江戸入りに際して、大坂佃村の漁民で家康と親しい関係にあった森孫右衛門が、配下の漁民30数名とともに江戸に移住したとされています。
その場所が現在の中央区佃です。

中央区佃
(電子国土webより許諾不要範囲内で使用)
復刻版金隣堂板江戸切絵図より
©こちずライブラリ

森孫右衛門たちはただの漁師ではなく、戦時には水軍になった人々だったという説もあるのですが、その話は別の機会にお話ししましょう。

幕府の「鮮魚御用」を命じられた森孫右衛門たちは江戸湾での漁業権を保障され、その代わりに江戸城に魚を納入することを命じられました。

ところで日本橋の東側の北岸には荷揚場がありました。
家康が江戸にやってきたころ、江戸城や町を築くための石材が小田原の山から切り出されて、船で運ばれてきてこの場所で荷揚げがされたそうです。

だから日本橋川の北岸には「本小田原町」という地名があったのです。

日本橋と本小田原町

ちなみに、家康に命じられて小田原で石を切り出していた石工の親方善右衛門の子孫の人たちは、今でも小田原の東海道沿いで石屋を営んでいます。

このもともとは石材の荷揚げをしていた場所で、江戸城に納入するときに余った魚介類を売り始めたのが、日本橋の魚河岸の始まりです。

最初は慶長15年(1610)に、孫右衛門の子の九右衛門が日本橋の東の河岸を拝領し、ここで魚を売り始めたといいわれています。

その後日本橋東側の北岸では多くの漁民たちが魚を荷揚げして売るようになり、魚市場が形成されました。
その市場が「日本橋魚河岸」です。

「江戸名所図会」に描かれた日本橋魚河岸
(国立国会図書館デジタルコレクションより)

なお本来は「河岸」と書いて「かし」と読む場合には荷揚場を意味しました。日本橋の場合は荷揚げした魚をその場で売りましたので、「日本橋魚河岸」といったら魚介類の市場のことを指します。

歌川広重が描いた「東海道五拾三次之内 日本橋朝之景」にも魚を運ぶ人たちが描かれています。魚河岸で魚を仕入れた魚の小売人たちです。

東海道五拾三次之内 日本橋朝之景
(国立国会図書館デジタルコレクションより)

この日本橋の魚河岸は明治以降も存続しました。

「最新東京名所写真帖」掲載の明治時代の日本橋魚河岸
(国立国会図書館デジタルコレクションより)

ところが大正12年(1923)の関東大震災。このとき魚河岸も崩壊・炎上し、壊滅的な被害を受けました。

「関東大震災写真帖」掲載の被災した日本橋魚河岸
(国立国会図書館デジタルコレクションより)

そして移転した先が築地です。築地市場はこうして昭和10年(1935)に開場しました。そして平成30年(2018)、市場は築地より豊洲に移転し、今にいたっているのです。

(歩き旅応援舎代表 岡本永義)

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