2024.7.9
俳聖と呼ばれる松尾芭蕉。
言葉遊びの色合いが濃かった俳句(発句)を、芸術の域にまで高めた江戸時代前期の文学者です。

この松尾芭蕉と日本橋魚河岸の関係ですが、実は直接的な関係については私も知りません。
ただ、芭蕉には杉山杉風という門弟がいました。
上の松尾芭蕉の肖像を描いたのも、杉山杉風です。
なお、松尾芭蕉の肖像は、同時代の人が描いたものが何枚か残っていますが、いずれも目が細く頬がたれ、ヒゲの剃りあとが濃く描かれています。そのため芭蕉はこのような顔をしていたと考えられます。
松尾芭蕉の肖像を描いた杉山杉風、この人は本名を鯉屋市兵衛といいます。
鯉屋市兵衛の職業は、日本橋魚河岸の魚問屋だったのです。

(国立国会図書館デジタルコレクションより)
杉山杉風は深川に土地を持っていました。
そこに小さな庵を建てて、芭蕉が江戸にいるときの寄宿地として提供しました。
その寄宿地の庭に芭蕉の木(バナナの原木)が生えていたので、ここは「芭蕉庵」と呼ばれるようになりました。

(国立国会図書館デジタルコレクションより)
松尾芭蕉はその後半生では自らの家を持たず、江戸と大津との間で主に東海道を行ったり来たりして門弟やパトロンの用意した場所で生活するものでした。まさに日本史上もっとも有名なホームレスだったのです。そのため芭蕉庵をあえて「住居」ではなく「江戸での寄宿地」と呼びます。

©こちずライブラリ
東海道を行ったり来たりしていたというのは、私たちがしている東海道歩き旅の大先輩に当たるわけですが、江戸時代後期に描かれた金隣堂板「江戸切絵図」には、江戸時代後期に紀伊徳川家の屋敷になっていた場所に「芭蕉庵古跡 庭中二有」と描かれています。
現在跡地と考えられている場所には、芭蕉稲荷神社があります。

さて、松尾芭蕉は本名が松尾宗房だったという説が有力です。
俳句を詠むようになってからの号が「桃青」。故郷の伊賀上野から江戸に出てきてからは、もっぱら「松尾桃青」と名乗っていたようです。
それが日本橋魚河岸の魚問屋杉山杉風が提供した芭蕉庵に、江戸滞在地は寄宿することとなり、桃青は自らを「芭蕉庵桃青」と名乗るようになりました。
これが後に「松尾芭蕉」という名として広く知られるようになったのです。
まさに日本橋魚河岸で商売をしていた鯉屋市兵衛(杉山杉風)がいなければ、「松尾芭蕉」という名の俳人も誕生しなかったことになるのです。


ところで、芭蕉がバナナの原種だと先に書きました。
ということは、一つ間違えていれば俳聖の名前は「松尾バナナ」になっていたかもしれないのです。

(歩き旅応援舎代表 岡本永義)
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