この夏に行ってきた東海道の調査のつづきになります。(前の記事はこちら

富士山とかぐや姫関連の展示を見て、次に向かったのは遠く離れた草津宿。青春18きっぷで行ったので、お尻が痛いです。

草津宿にある街道交流館、新聞にも載っていましたが、草津宿本陣の蔵の中に保管されていた旅人の忘れ物が発見されたのです。それが草津宿本陣街道交流館に展示されているのを見に行きました。

ここも内部の展示は撮影できませんでしたので、発見されたものなどは以下のリンク先をご覧ください。

草津宿本陣で新発見!江戸時代の”わすれもの” (草津宿街道交流館のページ)

 

これまでも江戸に新撰組隊士の新規募集に向かう土方歳三らが草津宿本陣に謝礼を支払った記述が大福帳にあることは知られていたのですが、大名や貴族、あるいは公用の幕府の役人しか泊まれない本陣ですので、土方たちが本陣に宿泊したのかどうかは分かりませんでした。

(草津宿本陣)

そこで今回の発見です。忘れ物に付けられた紙の札「新選組様 五月二日御泊」と書いてあったことから、土方たち新選組一行32名が宿泊していたことが明らかになったのです。

ところで、このとき一緒に発見されたお守りやお札が11点も入った守袋、これだけのお守り・お札を持ち歩くとはなかなかのコレクターですので、これを紛失したときの持ち主の落胆ぶりはいかばかりだったかと思いますが、このお札の中に気になるものがあったのです。(実際の展示では、このお札が1枚1枚開いて展示されていました)

細かい字がたくさん書いてあったので読み切れなかったのですが、火傷除けのお札がありました。その発行者が「麻布一本松 山崎藩中清水」となっていたのです。

え?麻布一本松? 清水?

麻布には平安時代からずっと植え継がれつづけていると伝わる松の木があります。これが麻布の一本松です。江戸時代には、その一本松の近くに旗本の山崎家の屋敷がありました。 

(復刻版尾張屋板江戸切絵図©こちずライブラリ)

この山崎家には伝説があり、庭の池に住んでいた大きなガマガエルが、山崎家の屋敷に火事が迫ったときに口から水を噴いて火を消し止めたというのです。それ以来、山崎家では火事除けのお札を売り出し、これが大変評判になったそうです。

この山崎家の火事除けお札の販売は、明治以降は家臣だった清水家が引き継ぎ、清水家ではその売り上げで子どもが大学にまで行けたという話が伝わっています。そのお札の販売が、現在は麻布十番にある十番稲荷神社に引き継がれています。

この展示を見て麻布の一本松が出てきたことにも驚きましたが、十番稲荷神社のお札の実態にも新たな発見がありました。お札の発行者がすでに江戸時代から清水家だったこと、そして火事だけではなく火傷除けのお札も売っていたことです。

そして何より大事なことは、

東海道で江戸と草津はつながっている!

と改めて思い知らされたことです。やはり東海道は偉大です。この道を歩いていると、日本中がこの道でつながり、様々な人や物資や文化が交流していたことがわかります。これこそ東海道の面白さです。

私はこのような東海道の面白さをたくさんの人たちに知ってもらいたいと思います。そこで、東海道を歩きたいという人たちには、「できるだけ長く歩いてください。できれば日本橋から三条大橋まで、すべてを歩いてください」とお勧めしています。

東海道の途中にある町を訪れただけではわからないことが、東海道を通して歩くと見えてくるのです。これは中山道や奥州街道など、他の長距離街道でも同じです。

みなさん、街道を歩くときはできるだけ長く歩いてください。

できることならば、その全てを歩いてください。

そして願わくば、当舎で開催している「京都まであるく東海道」にお申し込みください(←これ大事!)

 

またまた長くなってしまったので、東海道調査の話は次回もつづきます。

(歩き旅応援舎代表 岡本永義)