今年の夏に行ってきた東海道調査、3回目に入ってしまいました。

前々回は富士山のかぐや姫伝説などを、前回は草津宿に行って本陣の忘れ物を見た話をしました。

以前の記事はこちら 富士山とかぐや姫 草津本陣の忘れ物

今回は島田宿と蒲原宿についてお話しします。

島田宿は西隣の金谷宿との間に大井川があります。かつては架橋も船渡しも幕府に禁止され、「越すに越されぬ大井川」といわれ、川越人足たちに担いでもらって渡るより方法がありませんでした。

その川越人足たちのいる渡し場の管理は、そこから1.7kmほど東にある島田宿が担っていました。そのため渡し場の跡地は「島田宿大井川川越遺跡」として国の史跡に指定されています。

ところがこのネーミングのせいで、大井川川越遺跡のことを東海道の島田宿と誤解している人を散見します。あくまで島田宿と川越遺跡は別の場所です。

(東海道島田宿)

 

(国指定史跡 島田宿大井川川越遺跡)

 

今回訪れたのは島田市博物館。しばらく訪れていないし、この機会にじっくり展示を見ようかと思いました。

この博物館は展示物の写真撮影ができます。様々な展示がありましたが、大井川を越えるために川越人足を雇うには、まずは川会所に行って川札・台札を買わなくてはいけません。

ここが復元された川会所。いわばチケットカウンターです。

これが台札。連台に乗って川を渡るときに使いました。油紙でできていて、端がこよりのように撚ってあります。おそらく撚った部分を川越人足たちは鉢巻きや腰紐に結んでなくさないようにしたのでしょう。

川札や台札を買ったら、「宿」と呼ばれる川越人足たちの詰め所に行きます。ここでこのおじさんに川札(肩車の場合)または台札(連台使用の場合)を渡して川を渡してもらうのです。

その日の川越業務が終了したら、川越人足のおじさんたちは客から受け取った一日分の川札・台札を川会所に持ち込み、現金と換えていたのだそうです。

(現在の大井川)

 

ところで博物館の展示の中に面白いものを見つけました。

なんと!江戸時代の島田宿には時計屋があったのです。

時計自体が珍しかった江戸時代、めずらしくとも時計自体があるのですから時計職人という職業も存在しました。ただしかなりレアな存在です。もしかしたら、私のような職業として街歩きガイドをしているのより珍しいかも知れません。

 

さて、今年の夏の東海道調査、最後に訪れたのは蒲原宿です。これは展示を見に行ったのではなく講演会です。

場所は蒲原生涯学習交流館。

演題は「蒲原城を考える」、講師は塩坂髙男さん、地元の学校の先生だった方だそうです。

大盛況で70人くらいが入っていたと思いますが、東京から行った私がもっとも遠方だったものですから、受付の時に講師の先生がわざわざ挨拶に出てこられました。やらかしちまったかと思ってドキドキでした。

蒲原城は永禄11年(1568)から12年にかけて行われた武田信玄の駿河侵攻によって、武田と北条との戦場となった城です。

永禄3年(1560)に起こった桶狭間合戦によって、東海地方の覇者今川義元が戦死します。すると支配地域だった遠江と三河(静岡県と愛知県のそれぞれ一部)に動揺が走り、今川家から離脱しようとする豪族たちが相次いで今川家は衰退します。

これを見た武田信玄は、今川家と同盟関係にあったにもかかわらず、これを一方的に破棄して今川の本拠駿河に攻め込んできます。

これに対して今川家と同盟関係を維持する小田原の北条家は、軍を駿河に進めて信玄の駿河攻略を妨害しました。そのときに蒲原城を守ったのが北条一族の北条新三郎です。

北条のために駿河攻略に失敗した武田信玄は、永禄12年に再び駿河に進撃し、今度はいきなり蒲原城を攻めます。この蒲原城攻防戦で北条新三郎は戦死しました。後世に建てられた新三郎の墓が蒲原宿と、当時北条の支配地域だった三島宿にあります。

(蒲原宿の北条新三郎の墓)

 

(三島宿の北条新三郎の墓)

ところで北条新三郎は、戦死した後に一つ目の霊鬼となって蒲原宿に現れたという伝説があります。

ところでこの一つ目伝説、日本中のあちこちにありまして、いずれも金属加工の盛んな地に伝わっているのです。

じつは蒲原も鉄の産地でして、かつては鍛冶屋がたくさんあったそうです。昔は温度計などありませんから、火や溶けた金属の色を見て温度を知っていました。

そのため火や高温の金属を見続ける金属加工業者は、長い年月のうちにみんな目を悪くしたとのこと。そこで金属加工の盛んな地では目が悪い人が多く、一つ目の伝説が生まれたと考えられています。蒲原もまたしかり。そこへ戦死した北条新三郎の話がくっついて、一つ目の霊鬼の話になったと講師の先生はおっしゃっていました。

さて、このように東海道はたくさんの物語であふれています。いま、東海道を歩いている人たちの目的は人ぞれぞれです。健康のために歩いている人、昔の旅の気分を味わいたくて歩いている人、歴史が好きだという人、いろんな人がいます。

そして私は、古来から東海道を往来する人々によって育まれてきたたくさんの物語を知ることが楽しくて、自分で歩いたり、調査に行ったり、お客さまを案内して東海道を歩いています。

まさにクールでセクシーな東海道!

話題のこの言葉は小泉大臣よりも環境省よりも、まさに東海道がふさわしい!さまざまな楽しみ方のある東海道を、みなさんも是非あるいてみてください。

 

(歩き旅応援舎代表 岡本永義)