今年も東海道の調査に行ってきました。

私は東海道のガイドをしていますから、調査自体は通年行っているのですが、やはり比較的手の空いている夏が多くなります。これに行くのと行かないのとでは、いざ本番でお客さまにお話しする内容の密度に大きな差が出ることを実感しています。ですから、こうした綿密な調査を積み重ねることは、ガイドを仕事とする以上は必然のことなのです。

というわけで、今年の夏は吉原宿のある富士市、お隣の富士宮市、草津宿、島田宿、蒲原宿へと

クールにセクシーに

調査に行って参りました。

 

まずは富士宮市の静岡県富士山世界遺産センターへ。目的はこれです。

 

なんで東海道とかぐや姫が関係あるの?

と思われるかも知れませんが、吉原宿近辺にはかぐや姫の伝説が残っています。だから吉原宿内にあるマンホールの蓋もかぐや姫。

この地域では、かぐや姫は月に帰るのではなく、富士山に登ってこの山の神になったと伝わっているのです。吉原宿の東隣の宿場であった原宿の松蔭寺にいた臨済宗の名僧白隠も、「富士山の神はかぐや姫だった」と書き残しています。

ところで静岡県富士山世界遺産センターという長い名前の博物館ですが、富士宮駅から徒歩10分ほど、着いてみたらなんと!富士山本宮浅間神社の鳥居の横にありました。

展示は撮影できませんでしたので写真はありませんが、もともとかぐや姫だった富士山の神は、江戸時代半ばころには現在いわれている木花之佐久夜毘売(このはなさくやひめ)に変わっていったと展示にありました。木花之佐久夜毘売は古事記と日本書紀に出てくる女神で、天皇家の祖とされている邇邇芸命(ににぎのみこと)の奥さんです。

かぐや姫はその美しさから夜も光を放っていた(だから赫夜姫ですね)と伝説にありますし、木花之佐久夜毘売は燃えさかる炎の中で出産したと古事記にありますから、かつては活火山で夜も炎を上げていた富士山の神になったと考えられます。

邇邇芸命が降臨し木花之佐久夜毘売と結婚した高千穂からは富士山は見えないのです。だから最初は木花之佐久夜毘売が富士山の神ではなかったのは、納得のいく話です。

 

静岡県富士山世界遺産センターの隣にある富士山本宮浅間神社にも初参拝です。

本殿は江戸時代初期に建てられたもので、国の重要文化財です。東京にも富士塚がたくさんありますが、これら富士塚を築いた人たちが富士山に登る前に参拝をした神社です。

 

富士山の雪解け水が底から湧き出している湧玉池です。国の天然記念物になっています。かつては富士信仰の人たちは登山前にここで禊ぎをしていきました。

(現在は環境保全のために湧玉池での禊ぎは行われていません)

どのくらいの湧水量かといいますと、湧玉池から流れ出る川が激流になっているくらいの量です。

 

次に向かったのは吉原宿のある富士市の市立博物館、現在は富士山かぐや姫ミュージアムと改称しています。

この日は中吉原宿についての展示がなされていました。

吉原宿は江戸時代初期には駿河湾沿いにあったのですが(元吉原宿)、二度の水害で北へ北へと移転し、現在の場所(新吉原宿)になったとされていました。元吉原宿から新吉原宿へと移転する間に短期間宿場だった場所が中吉原宿です。

この日は学芸員さんの説明もあり、なかなか充実した観覧となりました。それによるとこれまでは元吉原宿から中吉原宿へは水害が原因で移転したといわれることが多かったのですが、海に近いために砂が堆積し、宿場内を歩くのも困難になったので中吉原宿へと移転したのだそうです。

ところが移転から40年後の延宝8年(1680)に、台風による高潮で中吉原宿は甚大な被害を受けて、さらに北の新吉わら宿に移転しました。中吉原宿の畑は95%が作物の穫れない状態となり、とても人の住める場所ではなくなってしまったそうです。

高潮のときには、中吉原宿で唯一水没しなかった悪王子神社(現在の左富士神社)に船で逃れることができた人だけが助かったということです。その避難の様子を再現した実物大模型も展示されていました。

(なんだかビミョーな模型だ・・・)

このミュージアムも名前のとおり富士山とかぐや姫の展示が充実しています。じつは静岡(略)産センターの展示の図録もここで売られていました。

ところで富士山頂近くに木製の鳥居があります。

写真はミュージアム内で流れていた映像ですが、この鳥居、なんと富士川の渡し場だった岩淵間宿の人たちが奉納しているものなのだそうです。

ちょっとこれはびっくり!

この東海道調査の話、ながくなりそうですので次回につづきます。

(歩き旅応援舎代表 岡本永義)