今年の1月14日に日本橋をスタートした「京都まで歩く東海道」、おかげさまで定員に達するほどのたくさんのお申し込みをいただきました。

こんなにたくさんの方々に来ていただけるとは、私自身も予想外でびっくりするとともに、大変感謝いたしております。

さて、その様子をご紹介いたしますと、初日は日本橋に集合。まずは見慣れた京橋や銀座の町を歩きます。

ビルだらけの町中ですが、かつての東海道の名残もあります。こちらは大正時代に架けられた京橋の親柱です。

さすがに土曜日の京橋・銀座は人で混雑していましたが、新橋を過ぎるとそれもすくなくなり、増上寺に到着します。徳川将軍の菩提寺です。

さらに歩いていきますと・・・

江戸時代初期の処刑場の跡があったり・・・

江戸時代の東海道のガイドブックである「東海道名所図会」に描かれた泉が今もあったりと・・・

 

ここに載せたもの以外にもたくさんのものを見ながら、この日は品川宿に到着して北品川駅で解散しました。
 
そして2回目は2月3日です。梅の花も開きはじめ、まもなく春の到来を感じさせる日和となりました。
        
この日は前回終了地点である北品川駅に集合し、品川宿を見てまわった後、蒲田駅を目指しました。
 
品川宿内は旅籠の跡、お寺、神社など見るところがいっぱいです。例えば東海道の東側の坂道を下ると・・・
そこはなんと海の跡。あろうことか鯨がいます。
 
この付近は鯨塚と呼ばれ、江戸時代に大鯨を仕留めてその骨を埋葬した場所といわれています。近くには幕末に幕府が設けた砲台(台場)の跡もあります。
 
その他にも品川宿は、五重塔の跡や沢庵和尚の墓、大仏に大きな庚申塔など、見るべきところが満載です。
ようやく品川宿を出て、道を進みます。すると・・・
 
鯨の頭にひきつづき、今度は鯨の尻尾が・・・
 
さらに坂本龍馬が登場。大砲まであります。
 
立会川駅の近くには、江戸時代に土佐藩邸があり、目の前の海に砲台を築いていたので、これらのものがあるのです。
 
大森の立場(茶屋のある休憩場所)の跡は、美原通りの商店街になっています。かつての大森の特産物は海苔。今も海苔問屋さんが何軒もあります。
 
そのうちの1軒でお買い物。バター風味の味つけ海苔は、クセになる味わいでした。
 
こうして2回目は無事に蒲田駅に到着しました。付近には戦国時代の豪族行方氏ゆかりのお寺もあります。
 
そして3回目、3月3日は蒲田駅に集合し、生麦を目指します。梅が見頃となっていました。
 
しばらく歩くと六郷神社。多摩川流域に6つの村があったので「六郷」という地名が生まれたそうです。こちらも梅がきれいです。
 
江戸時代にこの付近の領主であった旗本高木氏が奉納した手水鉢や、へんてこな顔をした大田区最古の狛犬、木造だったころの六郷橋の親柱などがありました。
 
そして多摩川にかかる六郷橋、ここを渡ると東京都から神奈川県に入ります。渡り終わると、そこから川崎宿が始まっていました。
 
川崎宿交流館を見学。けっこう見ごたえと遊びごたえのある施設です。
 
その他にも大正時代の六郷橋の親柱を見たり・・・
 
宿場時代の唯一残る建築物である子神社を見たりと、川崎宿にもいろんなものがあります。三角形のおにぎりの発祥が川崎だという話まであるんです。
 
川崎宿の外れである八丁畷駅近くには、松尾芭蕉の句碑があります。「奥の細道」で知られる芭蕉ですので東北地方の旅人のイメージがありますが、実は奥州街道は1回しか歩いたことがないのに対して、東海道は9回にわたって歩いているのです。
 
道は鶴見に入ります。かつて立場のあったところです。
 
なんじゃこりゃ???
 
鶴見ではかつての茶屋だったお店がパン屋さんを営業しています。ここの珈琲あんパンは絶品です。
 
鶴見の隣は生麦です。生麦事件で有名ですが、街道沿いの漁村だった生麦には、それにちなんだ伝説がたくさんあります。
 
亀の形をした石塔「亀地蔵」をはじめとして、白熊神社、小石様など、街道から左右にある路地を入ったところには様々な物語が眠っているのです。
 
こうして「京都まで歩く東海道」の第1期は、生麦駅で終了しました。次は4月7日から、さらに京都に向かって歩いていきます。
 
不定期になるとは思いますが、これからも東海道を歩く様子をこのブログでお伝えしていこうと思います。
 
また、「京都まで歩く東海道」は現在定員に達しているため今後欠員がでないと募集を再開する予定はありませんが、このイベントは受付を休止した今もたくさんのお問い合わせをいただいております。今後新たに日本橋をスタートすることも今秋くらいを目途に検討しています。
 
(歩き旅応援舎代表 岡本永義)