今回は「橋」の日本橋についてのお話、3回目です。

この前の記事はこちらをご覧ください。 その1 その2

 

日本橋にはいくつもの彫刻があります。まず一番端にあるのは獅子の像です。

これと同じような獅子が日本橋の四隅に据えてあります。口を開けたり閉じたりしているのは、阿吽を意味しています。

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この獅子像にはモデルがいます。

イタリアのフィレンツェにシニョーリア広場というところがありますが、ここにあるドナテッロ作のライオン像がモデルです。

こちらのwebサイトにライオン像が紹介されています。

西洋風のライオン像をだいぶ日本風にアレンジして、こうして獅子像が日本橋に置かれているのです。

 

ちなみに手にしているのは東京都の紋章。明治22年(1889)に、東京市の紋章として制定されたものです。

 

獅子の後ろの柱にも、なにやら装飾が施されています。

植物のようです。

これは上にあるのが松、下にあるのは榎のそれぞれ葉っぱなのです。

どうして松と榎かというと、日本橋からはじまっていた江戸時代の五街道には、松並木と一里塚が設けられていました。

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つまり松並木の松と、一里塚の上に植えられていた榎を意味しているのです。

 

日本橋の真ん中まで行ってみましょう。ここには麒麟像があります。東野圭吾の小説「麒麟の翼」、映画にもなったこの小説で有名になった麒麟です。

麒麟は伝説上の動物です。聖人君子が現れるときに姿を見せるといわれています。先日終了したNHKの大河ドラマ「麒麟がくる」では平和の象徴として何度もその名がでてきたところです。

 

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この麒麟も阿吽になっていますが、本来の麒麟とは違うところがあります。おなじみのこの麒麟と比べてみてください。

日本橋の麒麟には、羽があるんですね。本来なら羽のない麒麟になぜ羽を付けたのかといいますと、まだまだ西欧諸国に後れを取っていた日本は、これから世界に飛び立つんだという意味合いを込めて羽を付けたんだといわれています。

ところこの羽、鳥の翼の形をしていません。魚のヒレの形をしているんです。

日本橋の北側にはかつて魚河岸がありまして、それで魚のヒレの形になったといわれています。

↑[江戸名所図会」に描かれた日本橋の魚河岸↑

このことは東野圭吾も知っていたそうなんですが、それではなぜ「麒麟の翼」にしてしまったのか?

そこは大人の事情というやつでして、「麒麟のヒレ」では本が売れないであろうという判断があったと聞いています。

もっとも著者本人に確認したわけではありませんので、本当かどうかわからないお話です。

橋の反対側にある麒麟との間の地面には、前回お話しした日本国道路元標が設置されています。

その上を見ると、なんと東京市道路元標のレプリカが設置されているのです。高速道路を走っていても、日本橋の位置がわかるようになっています。

本物は日本橋の北詰にあります。

ところでこの東京市道路元標のレプリカですが、高速道路の高架に4本の足で固定されているように見えます。

 

ちがうんです!

 

4本の足のうち、くっついているのは北側の2本だけで、南側の2本は離れているのです。

なぜこんなことになっているのかというと、もし2本ずつ高速道路の上下線の高架に固定されているとします。すると高速道路を車が走りますよね。その振動で東京市道路元標を固定指定4本の足が破損して、道路元標が落ちてくる危険があるからなのだそうです。

ちょっとこれはなかなかわからない、私もどうして気づいたのか思い出せない、そんな豆知識です。

次回につづきます。