日本橋の話のつづきです。

この前の記事についてはこちらをごらんください。

※日本橋といっても町ではなくて「橋」そのものについて語っています。

日本橋の上に大きくそびえる「日本橋」の文字。高速道路の壁面にプレートが取り付けられています。

この高速道路は昭和38年(1963)に建設されたもの。先の東京オリンピック(先のと言ったものの、1年延期されたオリンピックも開かれるかどうかわかりませんが)に備えて行われた首都高速道路の整備によって、日本橋の上に架けられた高速道路です。

その是非や高速道路撤去計画はさておいて、この「日本橋」の文字、誰が書いたかわかりますか?

実は徳川慶喜なのです。あの最後の将軍です。

(国立国会図書館蔵)

でも慶喜は大正2年(1913)に没しています。昭和38年に造られたプレートに文字が書けるわけがありません。

実はこっちが慶喜が書いた本物の「日本橋」。

 

この文字を欄干の端、親柱の銅板に彫って取り付けたのです。高速道路のプレートにあるものは、これをコピーして文字を横に並べ替えたものなのです。

 

明治44年(1911)に日本橋が架けられたとき、最初に日本橋を架けた徳川家康の子孫だということで、日本橋の意匠設計をした旧幕臣の妻木頼黄が慶喜に「日本橋」の文字の依頼をしたのだそうです。

この日本橋、江戸時代も現在も多くの道路の起点となっています。国道などで車を運転していると「東京 90km」と書かれた青い道路標識を見かけますが(あれは看板だと思っている人がいますが、交通法規によって定められたれっきとした道路標識なのです)、この「東京」は日本橋を意味しています。

ちなみに他の「横浜 20km」「千葉 46km」などに書かれた場所は、それぞれ基準にするものが違うそうです。駅前とか県庁・市役所の前とか、その土地を代表するランドマークだとか・・・。

そうしたわけで、日本橋の北側には元標の広場というところがあり、ここが「日本国の道路の中心」という意味の日本国道路元標が置かれています。

 

この文字を書いたのは、第61~63代までの総理大臣を務めた佐藤栄作です。なかなか達筆です。

ただし橋の北にあるこの元標はレプリカです。本物は日本橋の中心部に設置されています。

(あぶないから見に行ってはいけません!)

この日本国道路元標が設置されたのは昭和47年(1972)です。それ以前には元標の広場に立っている柱状の道路元標が置かれていました。

これは東京市道路元標です。大正8年(1919)に制定された旧道路法に基づいて各市町村に設置されものです。これが以前は日本橋の中央に立っていたのです。

 

この東京市道路元標、上の方に花の装飾が付いていて、左右に翼のように広がっていますね。実はこれ、用途があるんです。

昭和42年(1967)まで日本橋の上を都電が走っていました。この花の装飾の部分には、都電に電気を供給する架線がぶら下がっていたのです。

 

それでは日本橋を渡ってみましょう。でもこの続きは次回です。