3月7日と8日は「京都まであるく東海道」の開催日です。
道は遠江へと入り、いよいよ浜松へと到達します。
浜松といえば、徳川家康が長く本拠地を置き、ここから天下人へと羽ばたいていったことから「出世城」とも呼ばれています。
とはいえ、最近ではそんなことよりも鰻や餃子の方が、出世なんかよりずっと有名ではあります。
さて、今回は磐田駅から始まって、天竜川を渡り、浜松を通り過ぎた高塚まで歩く予定なのですが、これまで見てきた以下のようなものと関わりのあるものが出てきます。
(括弧内はいつものとおり「京都まであるく東海道」第2シリーズで使用している配付資料の該当部分のページです)
原宿 松蔭寺
臨済宗中興の祖であり、名僧といわれた白隠慧鶴和尚がいた寺です。(第5期第3回 三島宿~原宿 9ぺーじ)
富士川 角倉了以の碑
京都の豪商で土木事業かの角倉了以は、富士川の岩を砕いて水底をならして、富士川を通船しやすい川に変えました。(第6期第1回 原宿~蒲原宿 13ページ)
府中宿 宝台院と常光寺
宝台院には徳川家康の側室西郷局(お愛の方)の墓が、常光寺は更生保護事業発祥の地でした。(第6期第3回 東静岡~藤枝宿 5ページ)
小夜中山峠 阿仏尼の歌碑
阿仏尼は鎌倉時代に京都から鎌倉への旅の様子を「十六夜日記」記した女流歌人です。(第7期第1回 藤枝宿~掛川宿 13ページ)
掛川宿 戦国時代の掛川城本丸跡
今川氏真はこの掛川城で徳川家康に降伏し、戦国大名今川氏は滅びてしまったのです。(第7期第2回 掛川宿~磐田 3ページ)
見付宿 見付端城跡
徳川家康は、当初は見付に城を築こうとしていました。その予定地だったとされる見付端城の跡には、土塁だけが残っています。(第7期第2回 掛川宿~磐田 13ページ)
さて、これらのものが、どのような形で磐田から高塚の東海道につながってくるのでしょうか?(9日以降に加筆します)
(歩き旅応援舎代表 岡本永義)