江戸時代の地図を見ながら歩くと、今まで気づかなかった「東京」が見えてくる。古地図を持って町あるきに出かけませんか?

今週末は、「江戸城外堀」シリーズの1を開催。「外堀」シリーズは、当舎でも人気のコースのひとつです。

ところで江戸城外堀とは?

江戸城の外堀とは、江戸時代、文字通り江戸城を取りまいていた外側のお堀です。
昨今ランナーに大人気の皇居の周りのお堀は、内堀。
外堀は、さらにその外周を囲んで、渦巻き状に、ちょうど「の」の字を描いて江戸の町をめぐっていました。
北は現在の中央・総武線のラインに沿って、南は地下鉄銀座線の虎ノ門駅付近まで。東西は東京駅の少し東から四ツ谷駅までが円を描いている部分で、さらに隅田川に流れ込む総武線の浅草橋駅付近まで、全長15キロに及んだ長い水路です。

©こちずライブラリ

電子国土webより

その元となったのは、現在も吉祥寺の井の頭公園から流れ出て隅田川に注ぎ込む、「神田川」でした。

神田川は、徳川家康が江戸に入る前から流れていた「平川」の流路を変えて江戸時代の初期に作られた人工の川で、江戸の町の治水と江戸城の北方の防御という二つの役割を担っていました。
三代将軍家光の時代に、この神田川を北辺として東南西と江戸の町を廻る堀が掘られ、江戸城の周囲を取り巻く外堀が完成したのです。

内側には幕府の有力大名の屋敷と町人の商店や家。その内部に入るために、堀にはいくつもの門が設けられてそれぞれに橋が架かり、人々の出入りを見張る「見附」が置かれていました。

この内側の広さと言えば、現在の千代田区がすっぽり入るほどの面積ですから、江戸城が当時世界最大規模の城と言われたのもうなずける話ですね。
戦乱のなかった江戸時代、敵から城内を守るという「堀」本来の役割は薄れましたが、舟運に活用され都市の発展に大きな影響を及ぼしました。

都心にお勤めの方が日々通われる途上には、そのような都心と郊外の「仕切り」があったわけなのです。

……と言っても。この「仕切り」、今ではほとんど目に映りません。「江戸城外堀」を意識されたことはありますか? ない、という方がほとんどかと思います。この水路、近代に入り大部分が埋め立てられたり鉄道や道路に利用されたりして、地図上でも、実際に跡を通過してみても、その存在感を放つことはなくなってしまったのです。けれど……

なんだ。行っても見られないのか。
それなら行く価値はないかな……。

などと思われるのは違います!!

外堀の痕跡は、実はそこここに残っているのです。

たとえば、高速道路

写真のとおり、現在の首都高速道路の一部は外堀の水路の上を通っています。昭和期に首都高を敷設するにあたって、最大の問題はその土地をどう工面するかということでした。そこで白羽の矢が立ったのが、外堀という空間。外堀跡の水路は公共の土地でしたから、手間なく用地を取得できたのです。

現在の地図上で「外堀」が目立たなくなってしまったのは、同じ場所に首都高が走っているからでもありますが、反面この区間の水路が残されたのは、頭上が有効活用できたからだということも言えるかもしれません。

ただ埋め立てられて道路に姿を変えてしまった箇所も少なくありません。現在「外堀通り」と呼ばれている道路も、その一部は外堀を埋めたてて造られたものなのです。

たとえば、鉄道

首都高敷設よりもさらに古い、明治時代のことです。鉄道という新しい道を通す時、用地の問題に悩んだのは高速道路と同じ。現在の中央線の前身である甲武鉄道は、用地取得を容易にするなどの目的で、四谷~牛込(飯田橋駅の南側)間は外堀の中を、そこから東は外堀の土塁上に線路を敷いたのです。

さらにはその駅のある場所がポイント。

中央・総武線の四ツ谷から東の区間にある駅は、そのほとんどが江戸城外堀の門のあった場所に置かれています。用地買収が不要な外堀の中に鉄道が敷かれたとき、門の跡地ならば橋があってお堀のどちら側にも行けることから、そこを利用して駅が築かれたのです。

現在も駅のある場所に、いくつか当時の門の石垣が残されています。

たとえば、区境

水路が行政の境になるのは常のことですが、ほとんど流路の残っていないこの外堀も例に漏れません。たとえば上述した現在の中央・総武線となっている区間(外堀の北のライン)は千代田区と文京区・新宿区を分ける区境になっていますが、水面のまったく見えない南の端にもご注目ください。

電子国土webより

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虎ノ門周辺の、この不自然なでっぱり。気になりませんか?

このライン、まさに外堀の跡なのです。
外堀はここで少し角度を変えて、枡形に曲がっていました。

区境はこの昔の外堀の線に沿って仕切られているため、大通りを挟んで一カ所だけ千代田区の土地が三角形に残されているのです。

ところどころで見かける不思議な行政境の曲がり方には、歴史があるのです。

たとえば、地名や駅名

東京メトロ丸ノ内線と銀座線の交わる「赤坂見附」。「赤坂」という地名は有名ですが、それじゃ「見附」って何?

見附とは、江戸城内に入る人の往来を見張った城内の出入り口です。平和な時代とはいえ城は城。堀は堀。ですから堀の外側と内側を行き来する人を監視する施設は存在しました。そのすべてに橋が架けられ、江戸城への門が設けられていたのです。

赤坂見附はそんな江戸城への出入り口のひとつ。また、同じく銀座線の虎ノ門駅のある港区虎ノ門は、「門」が地名となってそのまま残されています。

そしてたとえば、石垣

水面がまだ残っている区間には、江戸時代そのままの石垣が残されています。

これはそのまま、江戸時代の町を想像できる痕跡なのですが、実は石垣の名残はそれだけではありません。

都心を歩く時、こんな石を目にしたことがありませんか?

これらは江戸城外堀の石垣の一部を作っていた石なのです。石垣建設にあたってこの石を用意した大名家のマークがしるされています。

近代に入り江戸城域が縮小されて、役割を失った石たちが、都心ではあちこちでオブジェや椅子として再利用されています。ちょっと注意して見れば、あちこちにこんな形の石が見つかるのでは。

古地図を持って、江戸の痕跡を探しにいきませんか?

このように、高層ビルの立ち並ぶ大都市となった現代の東京にも、いたるところに江戸の痕跡が残されています。様々な角度からその姿を見ることができますが、「外堀」はその中でも最も分かりやすい切り口のひとつではないかと思います。

道路であり、鉄道であり、行政区分や地名に残されている外堀。これは外堀が現在の「東京」の下地となった証であり、150年間でがらりと姿を変えた東京の中に変わらずに残る江戸時代からの生き証人なのです。

歩き旅応援舎では、この「江戸城外堀」の15キロを5回に分けてご案内しています。

このシリーズの第1回(水道橋~東京駅周辺まで)を今週末の1月13日に開催、以降、2回目、3回目と続きます。

 

今週末はご都合が悪いという方もご安心ください。外堀シリーズは1~2カ月に一度の頻度で1から5まで順番に開催。ご都合のいい箇所からご参加いただくことも可能です。

また、例年ゴールデンウィークや年末には、3日間で一気に回る企画もご用意しておりますので、そこで一度にご参加いただいたり、抜けた部分をそちらで歩いていただいたりすることも可能です。

現在の大都市・東京の基盤となった江戸城外堀を、古地図を持って歩いてみませんか?