江戸時代、丸の内は大名屋敷が並んでいた場所でした。

明治時代になり、大名屋敷は明治政府に接収されて役所や軍の施設となりました。
その土地が明治22年(1889)に、三菱に払い下げられます。
三菱は丸の内の再開発を行い、日本で最初の西洋風レンガ建築のオフィスビル街ができあがりました。

そのころ撮影された写真があります。

レンガ建築のオフィスビル街

だいたい明治30年(1897)ころでしょうか。
まるで日本には見えませんが、当時の人々も同じように思いました。
そこでロンドンような街並みだということで、ここは「一丁倫敦」(いっちょうろんどん)と呼ばれていました。
現在の商工会議所から東京国際フォーラムへと通じる道です。

この「一丁倫敦」の一番端に、明治安田生命の本社ビルがあります。

国指定重要文化財 明治生命館

「明治生命館」と呼ばれるこのビルは、昭和9年(1934)に建てられた丸の内に現存するもっとも古いビルで、国の重要文化財に指定されています。

この場所を江戸時代の地図で見てみましょう。

復刻版金隣堂板江戸切絵図より
©こちずライブラリ

「定火消御役屋敷 諏訪主殿頭」と書いてあります。

定火消とは江戸幕府の旗本の役職の1つで、武家屋敷が火事になったときに消し止めるのが役割でした。

定火消を命じられた旗本には、御家人である与力6人と同心30人、さらにその下に町人である火消人足が100人配属されていました。

さて、その定火消の「消防士」たる御家人の中に、安藤重右衛門という人がいました。
この名前、聞いたことがありますか?

歌川広重肖像
国立国会図書館デジタルコレクションより

でも重右衛門は、消防士になるよりも画家になりたかったんですね。
15歳で歌川豊広に弟子入りし、翌年から歌川広重を名乗り、27歳で隠居して幼い息子仲次郎に家督を譲ると、絵を描くことに専念するようになりました。

広重の浮世絵

当舎でご案内している古地図散歩や東海道でもお馴染みの歌川広重、いつもよく通る、よく知っているはずのところにも、彼に関する意外なゆかりの地があるのです。

 

(歩き旅応援舎代表 岡本永義)

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