2024.7.10
東海道川崎宿は、東海道で2番目の宿場です。
東京の日本橋から東海道を始めると2番目に到達する宿場という意味でして、宿場の成立した順番からいくと53番目、つまり最後に成立した宿場です。
ちなみに成立年は元和9年(1623)です。
ここには3軒の本陣がありました。
江戸側から順番に田中本陣、惣兵衛本陣、佐藤本陣です。
田中本陣と佐藤本陣は明治5年(1872)の東海道宿駅制度廃止まで存続していましたが、「中の本陣」とも呼ばれていた惣兵衛本陣は江戸時代中期には廃業してしまったようです。
佐藤本陣は代々の当主が惣左衛門と名乗っており、川崎区砂子2丁目にありました。
現在セブンイレブンがある辺りです。
佐藤本陣の佐藤家は、明治5年の宿駅制度廃止後は雑貨商を営んでいたそうです。商売替えをした佐藤家の次男として生まれたのが、昭和初期にヒット曲を連発した作詞家の佐藤惣之助です。
川崎信用金庫の前に碑があります。
名前に「惣」の字が入っているところが、佐藤惣左衛門家の出身であることを表しています。ただし父親の名は慶次郎だったそうです。
佐藤惣之助(1890~1942)は、商家での奉公の後に、東京の九段にあるミッションスクール暁星学園の中学校を卒業しています。21歳ころから詩作に励み、最初の詩集「正義の兜」を26歳のときに出版しました。40歳を過ぎてから書いた「赤城の子守歌」がヒット曲となり、それ以来古賀政男とのコンビでヒット曲を連発するようになります。こうしてみるとなかなか売れない時期が長かった苦労人だったようです。作品数は非常に多く、生涯に詩集17冊、歌謡詩集5冊を出版し、その他にも随筆や小説も著しています。昭和17年、52歳で没しました。
代表曲としては「六甲おろし」「赤城の子守歌」などがあります。
「六甲おろし」は阪神タイガースの応援歌として今でもよく知られています。「赤城の子守歌」は東海道藤沢宿の遊行寺に墓のある板割浅太郎がモデルとなっています。
さて、この佐藤惣之助の碑ですが、よく見ると書いてあるのは「六甲おろし」でも「赤城の子守歌」でもなく、「青い背広で」です。
この曲は昭和12年(1927)に古賀政男が作曲し、藤山一郎が歌ったヒット曲です。初々しく切ない若い男女の恋を、哀調を帯びた旋律で歌っています。
最近は歌われることもほとんどないこの歌、上のYouTubeでも初めて聞いた人も多いことと思います。
この詞については、こんなエピソードが伝わっています。
ある日、酔った佐藤惣之助は藤山一郎と会いました。そのとき藤山が着ていた緑色のスーツを見て「青い背広とは珍しいな」と、即興で作ったのがこの歌なのだそうです。
佐藤惣之助はお酒が大好きで、会うとだいたい酔っていたそうです。
碑は昭和54(1979)年に佐藤惣之助の生家の向かいに当たる場所に建てられました。
佐藤惣之助の詩碑は、このほかにも稲毛神社とカルッソ川崎の敷地内にも建てられています。
(歩き旅応援舎代表 岡本永義)
(参照文献)
「現代詩人全集第10巻」
「歌暦五十年」
「東京のうた その心を求めて」
「釣魚探求」
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