2024.7.19
藤枝宿内、蓮華寺池の近くに蓮生寺というお寺があります。
真宗大谷派のお寺です。建久6年(1195)に建立されたときには、浄土宗だったと考えられます。
田中藩主だった本多家の菩提寺で、本堂の左側には本多家の墓所があります。
本堂の裏には藤枝市の天然記念物に指定されているイブキの古木があります。明治36年(1903)には火災で焼けてしまったのですが、それにもかかわらず、その後も葉を繁らせて成長を続けているイブキの木です。
ところでこのお寺は「平家物語」にも登場する鎌倉武士、熊谷直実の伝承があります。
熊谷直実といえば、一ノ谷の合戦で平敦盛を討ち取った武士として知られています。
ともに敵陣へと駆けていた子息が矢を受けて負傷し、それを心配して駆け戻っている間に他の武士に先陣を取られてしまった直実は功を立てようと焦り、沖合の船へと逃れようとしている武士に一騎打ちを挑みます。
しかし組み伏せて首を取ろうとしたところ、相手は負傷した我が子と同じくらいの少年でした。
いたたまれず敵の少年兵を逃そうとするのですが、味方の兵たちが来たものですからやむなく討ち取ってしまいました。その相手が平氏一族の若武者平敦盛だったのです。
この件がもととなり、武士であることに虚しさを感じた直実は、後に出家して蓮生と名乗ったといわれています。
以上の話は「平家の物語」に載っているものです。
「平家物語」はあくまで小説です。脚色してあります。
熊谷直実が出家し浄土宗の開祖である法然坊源空に弟子入りしたのは本当の話のようですが、出家の理由は源平合戦終結後の所領争いで、頼朝らが自分に不利な裁定をしそうになったことに抗議して出家したという話が「吾妻鏡」には載っています。
ただし、所領争い以前にすでに出家していたという説もあります。
さて、藤枝の蓮生寺に伝わる熊谷直実の物語です。
この地に福井長者というお金持ちが住んでいました。
そこへ尾羽打ち枯らした蓮生法師(熊谷直実)がやってきて、金の無心をします。福井長者が蓮生法師に担保を求めると、蓮生は十念を担保にすることを申し出ます。
十念とは、「南無阿弥陀仏」という念仏を10回唱えることです。これを僧から唱えてもらうと、極楽往生ができるといわれていました。
十念を担保にするとは何のことやらわかりませんが、蓮生が十念を唱えると、1回「南無阿弥陀仏」というたびに庭の蓮の華が1輪咲き、十念を唱え終えたときには10輪の蓮が咲いていました。この奇瑞を目の当たりにしてびびった福井長者は、蓮生にお金を貸したということです。
1年後に蓮生が返済に現れたとき、福井長者は蓮生にうながされて十念を唱えたところ、今度は庭の蓮の華が1輪ずつ散っていったそうです。
これによって福井長者は蓮生に弟子入りして出家し、その屋敷を念仏道場としたのが蓮生寺の始まりとされています。
ちなみに上記の話は古い書物に載っている話で、最近いわれている話は、蓮生が福井長者に対して「南無阿弥陀仏」と唱えと、そのたびに蓮生の口から阿弥陀如来が現れ、福井長者の口に吸い込まれていったというものです。藤枝市のホームページも口から阿弥陀如来が現れた話を紹介しています。
この話の真偽はともあれ、熊谷直実の蓮生法師によって創立されたのが蓮生寺です。
ところで、熊谷直実の蓮生法師が生きたのは平安時代の末期から鎌倉時代の前期にかけてですが、なんとこれと同じ時代に、蓮生法師がもう一人いたのです!
(歩き旅応援舎代表 岡本永義)
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