2024.7.19
東海道を旅して小夜の中山峠を越えるとき、蓮生法師の歌碑があります。


蓮生法師は俗名を宇都宮頼綱といい、もとは鎌倉の御家人でしたが和歌を得意とし、出家して京都に移り住んだ人物です。
これについては以前のブログに書きました。
この蓮生法師の歌碑から約1キロしか離れていないところには、阿仏尼の歌碑もあります。

阿仏尼は女流歌人として有名です。
彼女が鎌倉への旅において著した「十六夜日記」は、鎌倉時代の女流文学の傑作といわれています。

「十六夜日記」を読むと、阿仏尼という人の天才的な和歌の才がわかります。
旅をしながら見た風景を、次から次へと歌に詠んでいくのです。常人にはとても真似できるもんじゃありません。
ところで、阿仏尼が鎌倉に向かった理由、それは自分が産んだ子である冷泉為相に、死んだ夫である藤原為家の遺産を相続させるためでした。
藤原為家は「小倉百人一首」の選定者である藤原定家の子息です。
定家から和歌の家としての藤原家を継いだ人物です。
当時は一夫多妻制ですから、為家にも妻が複数人いました。阿仏尼以外に何人か妻がいたようです。
それら妻たちの1人が産んだ子が二条為氏です。
藤原為家の死後、二条為氏は為家の遺産を独り占めしてしまいました。そこで阿仏尼は自分の子である為相にも遺産を分けてもらえるよう、幕府に訴えるため鎌倉に向かったのです。

弘安2年(1279)10月16日に京を発った阿仏尼は、同月29日に鎌倉に着きました。阿仏尼は生年不詳なのですが、おそらくこのとき60歳を過ぎていたと思われます。当時としてはかなりの高齢です。たいへんな旅だったことでしょう。
阿仏尼が鎌倉に着いてから詠んだ
めぐりあふ末をぞたのむゆくりなく 空にうかれしいさよいの月
この歌が「十六夜日記」という題名の由来とされています。
「ゆくりなく」とは思いがけなくという意味です。60歳の高齢で思いがけなく鎌倉までの長旅を経験した自分を、空に浮かんだ月のようだと、ちょっとわかりにくい例えをしています。


ところが・・・
実はこのころは元寇の真っ最中でした。
ユーラシア大陸に大帝国を築いたモンゴル帝国は中国風に「元」を国号として、外交交渉の末に日本への侵攻を開始しました。
文永の役でなんとか元軍を撤退させたのが5年前、いまだに緊迫した状況がつづいており、この2年後には2度目の侵攻・弘安の役が起こります。
元寇のころの様子はYouTubeにも動画があります。
ちょっと、ちがうような・・・
元の侵攻にさらされていたこの時代、まさに日本という国が消えてなくなるか、それとも生き残れるかという瀬戸際にありました。
幕府も防衛・外交対策で大わらわ、そんなところに阿仏尼は自分の家庭の事情を持ち込んでしまったのです。
そのためだと思われますが、この相続問題は阿仏尼の生前には解決しませんでした。
鎌倉に到着した後の阿仏尼については、消息がよくわかりません。京都に帰ったとも、鎌倉で死んだともいわれています。
この相続問題が解決したのは、阿仏尼の死後に冷泉為相が自ら鎌倉にやってきた後になります。
為相は幕府の裁定が出るまでの間、鎌倉にとどまって御家人たちに和歌を教えました。
「先生!」「先生!」とちやほやされたせいか、為相にとって鎌倉はとても居心地がよかったらしく、幕府によって相続が認められた後も鎌倉にとどまっています。
さて、この相続争いの発端となったのは二条為氏の遺産独り占めですが、この為氏の生母というのが冒頭に出てきた蓮生法師(宇都宮頼綱)の娘なのです。
蓮生法師は為氏、為相兄弟の祖父にあたる藤原定家と大の仲良しで、蓮生法師が別荘を建てたときに定家は古今の和歌の名歌100首を張り付けた衝立を作り、新築祝いとして蓮生に贈っているくらいです。
このような2人の縁で、蓮生法師の娘が定家の跡継ぎである為家に嫁いでいるのです。
「この年で鎌倉まで行くはめになったのは、もとはと言えばあいつのせいだ」
「十六夜日記」には書かれていませんが、阿仏尼が思った可能性はおおいにあります。
因縁の2人の歌碑は東海道の小夜中山峠で、峠をはさむように建てられています。
(歩き旅応援舎代表 岡本永義)
【出典】
地図:国土地理院ホームページの地図を加筆して使用
「尾張名所図会」「群書類従」画像:国立国会図書館デジタルコレクションより
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