2024.7.21
東海道を日本橋から歩き始めた場合、京橋はすでに見えています。
高速道路の高架があるので、すぐにわかります。
写真ではわかりにくいのですが、実際に日本橋に行けばすぐにわかります。
ずっと向こうの方に高速道路の高架が見えてます。
東海道を京橋に向かって進んでいきます。
すると左側に変わった形のビルが見えてきます。
ビルのてっぺんに灯台のようなものがついています。
このビルは相互館110タワーという平成24年(2012)に竣工したビルです。
名前からもわかるとおり、もともとは第一生命保険の本社が入っていました。
現在のビルは3代目。初代のビルはレンガ造り7階建ての立派なものでした。
名前を
「第一相互館」
といいます。
目立つビルですから大正後期から昭和初期の写真にも写っています。
屋上の灯台のような部分は、当時流行っていた物見台(展望台)です。
江戸時代からつづく東海道、現在の中央通りであり、日本最初の地下鉄、銀座線も前を通っていた京橋沿いにそびえ立つ物見台付きのレンガ建築、京橋だけにとどまらず、まさに帝都東京のランドマークでした。
このレンガ造りのビルが完成したのは大正10年(1921)のこと。設計者は日本が生んだ明治・大正の名建築家、辰野金吾です。
現在も使われている東京駅丸の内駅舎を設計した建築家です。
地震に強いレンガ建築を得意としていた辰野金吾の作品ですから、関東大震災も第二次大戦の空襲にも生き残っています。
関東大震災の被災・復興状況を記録するため、東京市や警視庁なども第一相互館の屋上から写真を撮影しています。
そんな初代の「第一相互館」ですが、昭和44年(1969)に解体され、昭和46年(1971)に鉄筋コンクリート造りの2代目の建物「第一生命相互館」に建て替わりました。
その2代目も平成21年(2009)に解体され、物見台のあった初代の建物を模した現在のビル「相互館110タワー」となりました。
1階のウインドウには、初代の第一相互館の模型が置かれています。
そして隣のウインドウには、初代第一相互館で使われていた石材の一部も。
ところで設計者の辰野金吾は大正8年(1919)にインフルエンザで病没してしまいました。
第一相互館が完成したのは、その2年後のことになります。
京橋のランドマークだったレンガ造りの第一相互館、辰野金吾の遺作の建物だったのです。
(歩き旅応援舎代表 岡本永義)
【参照文献】
第一生命相互会社三十五年史
大東京名所百景写真帖
帝都復興史
大正大震火災誌
関東大震災記念新旧対照
相互館110タワープレスリリース
最新のブログ記事
- 箱根の石畳 東海道五十三次最大の難所の実情は?東海道一といわれる難所である箱根は、江戸時代の石畳が残っていることで知られています。実際に歩いた感じでは、道の半分ほどは石畳です。でも本当は・・・
- 白河藩松平家 「べらぼう」で松平定信が嫌がった養子先とは?大河ドラマ「べらぼう」では、蔦屋重三郎の活躍の一方で、幕府内の権力争いなどが描かれています。その中で松平定信が嫌々ながら養子に行きました。養子先の白河の松平家とはどういう家なのでしょう?
- 正眼寺と曾我兄弟 東海道沿いになぜ曾我兄弟の墓があるのか?箱根宿に向けて坂道がつづく東海道。その途中に曾我兄弟のお墓があります。あまり目立たないお墓なのですが、なぜここに曾我兄弟の墓があるのかを探りました。
- 早雲寺 北条早雲の名を冠する箱根湯本のお寺箱根湯本にある早雲寺。箱根湯本から箱根宿へと向かう上り坂を少し登ったところにあります。東海道を先に進む前に、見ておきたいところを紹介します。
- 岡崎城のいま 時代とともに変化する徳川家康出生の城徳川家康が生まれた岡崎城。明治以降の解体や復元をへて、現在は新たな魅力を放っています。
- 築山御前と松平信康の首塚 東海道岡崎宿にある徳川家康の妻子の埋葬地徳川家康の正室築山殿と長男信康は、いずれも非業の死を遂げています。東海道岡崎宿にある彼らの首塚を訪ねました。
- 御油・赤坂の飯盛女 吉原だけじゃない!遊女たちの光と影大河ドラマ「べらぼう」の影響で、吉原の遊女たちの光と影が取り上げられることが増えましたが、光と影はなにも吉原だけにあったわけではありません。東海道五十三次の宿場で働いている飯盛女も同様です。それについて、飯盛女が多かったという御油宿と赤坂宿を取り上げました。
- 宿場の本来の機能とは? 「べらぼう」田沼意次の「宿場が潰れるとどうなる?」の真意2025年大河ドラマ「べらぼう」で田沼意次の言った「宿場が潰れるとどうなる?」とはどういう意味でしょう? これには宿場本来の機能がかかわっています。
- 投げ込み寺 「べらぼう」で蔦屋重三郎も嘆いた遊女たちの死の実態は?大河ドラマ「べらぼう」に出てきた死んだ遊女たちの埋葬シーン。いきなりショッキングなシーンでした。はたして彼女たちの埋葬地「投げ込み寺」の実態とは?
- 東海道保土ケ谷宿 初めての難所を控えた宿場の江戸時代後期のデータと現在の姿江戸時代後期に編纂された「東海同宿村大概帳」から保土ケ谷宿のデータをまとめました。江戸時代に書かれた絵や現在の写真と見比べてください。
東海道歩き旅イベント 参加者募集中
とにかく内容が濃く詳しい、それなのに参加費がリーズナブル。
それが歩き旅応援舎の東海道歩き旅イベントです。
「日帰りで歩く東海道」 日本橋~原宿を日帰りで歩きます。全15回
「京都まで歩く東海道」 原宿~三条大橋を一泊二日で歩きます。全18回
それぞれ月に1回ずつ歩いて、東京の日本橋から京都の三条大橋をめざすイベントです。
以下のイベントが参加者募集中です。途中からでもご参加いただけます。
このブログには書いていないことが、実際の東海道にはいっぱいあります。
もっとくわしくお話をしながらガイドがご案内いたします。
一緒に東海道を歩きませんか?
人生の宝となるような経験、そのためのお手伝いをいたします。
- 日帰りであるく東海道 第4期 国府津~元箱根月に1回日帰りで歩く東海道五十三次の旅
開催日時
11月23日 国府津~小田原宿
12月28日 小田原宿~箱根湯本
1月25日 箱根湯本~元箱根
参加費 各回3500円 - 京都まであるく東海道 第9期 国府~熱田宿月に1回、一泊二日で歩く東海道五十三次の旅
開催日
2025年
1月12~13日 国府~岡崎宿
2月1~2日 岡崎宿~前後
3月1~2日 前後~熱田宿
参加費 各回6000円 - 日帰りであるく東海道 第1期 日本橋~生麦月に1回日帰りで歩く東海道五十三次の旅
開催日時
2025年
1月18日 日本橋~品川宿
2月15日 品川宿~蒲田
3月15日 蒲田~生麦
参加費 各回3500円 - 日帰りであるく東海道 第5期 元箱根~原宿月に1回日帰りで歩く東海道五十三次の旅
開催日時
2025年
2月22日 元箱根~山中城
3月22日 山中城~三島宿
4月26日 三島宿~原宿
参加費 各回3500円 - 日帰りであるく東海道 第1期 日本橋~生麦月に1回日帰りで歩く東海道五十三次の旅
開催日時
2025年
4月13日 日本橋~品川宿
5月11日 品川宿~蒲田
6月15日 蒲田~生麦
参加費 各回3500円