2024.7.24
日本橋から東海道の歩き旅に出ると、最初に出会う橋が京橋です。
高速道路が架かる交差点、ここが京橋の跡地になります。
高速道路の下には、かつて橋がありました。
昭和38年(1963)から40年にかけて、下を流れていた京橋川が埋められて高速道路が建設されました。
そのときに京橋も撤去されたのです。
江戸時代までは木製の橋でした。
歌川広重も浮世絵に描いています。
その橋が明治8年(1875)にコンクリート製石張りの橋に架け替えられ、明治34年(1901)には鋼橋に架け替えられました。
ただし、鋼橋になっても欄干と親柱は明治8年のものが引き続き使われました。
その後さらに大正11年(1922)にも架け替えが行われました。その大正の橋が昭和40年(1965)に撤去されるまであった橋です。
現在、京橋の跡地である高速道路下には、明治の橋と大正の橋、それぞれの親柱が置かれています。
ちなみに明治の橋の親柱の横にある説明板の写真に写っているレンガの巨大建造物は、以前に書いた第一相互館です。
そしてこちらは大正11年に架けられた橋の親柱です。
三角屋根が特徴です。
その下のガラスの部分は街灯になっていました。
そして京橋交番の屋根の形は、大正の橋の親柱を模したものとなっています。
(歩き旅応援舎代表 岡本永義)
【画像出典】
歌川広重 「名所江戸百景 京橋竹がし」
明治8年の京橋 「京橋区史下巻」
明治34年の京橋 「最新東京名所写真」
大正11年の京橋 「建築写真類聚 第5期 第17」
いずれも国立国会図書館デジタルコレクションより
東海道歩き旅イベント 参加者募集中
とにかく内容が濃く詳しい、それなのに参加費がリーズナブル。
それが歩き旅応援舎の東海道歩き旅イベントです。
「日帰りで歩く東海道」 日本橋~原宿を日帰りで歩きます。全15回
「京都まで歩く東海道」 原宿~三条大橋を一泊二日で歩きます。全18回
それぞれ月に1回ずつ歩いて、東京の日本橋から京都の三条大橋をめざすイベントです。
以下のイベントが参加者募集中です。途中からでもご参加いただけます。
このブログには書いていないことが、実際の東海道にはいっぱいあります。
もっとくわしくお話をしながらガイドがご案内いたします。
一緒に東海道を歩きませんか?
人生の宝となるような経験、そのためのお手伝いをいたします。
- 日帰りであるく東海道 第4期 国府津~元箱根開催日時
11月23日 国府津~小田原宿
12月28日 小田原宿~箱根湯本
1月25日 箱根湯本~元箱根
参加費 各回3500円 - 京都まであるく東海道 第9期 国府~熱田宿開催日
2025年
1月12~13日 国府~岡崎宿
2月1~2日 岡崎宿~前後
3月1~2日 前後~熱田宿
参加費 各回6000円 - 日帰りであるく東海道 第1期 日本橋~生麦開催日時
2025年
1月18日 日本橋~品川宿
2月15日 品川宿~蒲田
3月15日 蒲田~生麦
参加費 各回3500円 - 日帰りであるく東海道 第1期 日本橋~生麦開催日時
2025年
4月13日 日本橋~品川宿
5月11日 品川宿~蒲田
6月15日 蒲田~生麦
参加費 各回3500円
※当面の間は日本橋から新たに出発する予定はありません。上記のイベントへのご参加をお勧めします。
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