2024.7.26
日本橋を出発して東海道(第3京浜)を少し南に下ると、日本橋三丁目の交差点に出ます。
右手の奥には、東京駅の八重洲口が見えます。
交差点には平和の鐘があります。
ヤン・ヨーステンの像があります。
この像に関しては、他の記事があります。
→ヤン・ヨーステンと八重洲の物語
キリンもいます。
この交差点は、江戸時代前期に「中橋」という橋があった跡地に当たります。
江戸城建設の資材を運ぶため、徳川家康は海から城に向けて9本の水路を掘りました。城の建設が終わったことで、水路のほとんどは埋められましたが、1本だけ残されていたものがあります。
その最後の水路の上に架けられていた橋が中橋です。
やがて最後まで残っていた水路も東海道よりも西側が正保年間(1644~48)に、東側が安永3年(1774)に埋められて中橋も撤去されましたが、地名としての「中橋」という呼び名や町名として「中橋広小路」に橋の名が残りました。
しかし昭和6年(1931)には京橋1丁目に町名が変更され、「中橋」の名は消えてしまいました。b
中央の縦の太い道が東海道です。上が日本橋、下へ行くと京橋です。
江戸時代初期の中橋周辺には、多くの芝居小屋や大道芸人などが集まり、大変賑わったそうです。
江戸で最初の常設の芝居小屋である猿若座、後の中村座も、この中橋の南に建てられたそうです。
江戸歌舞伎発祥の地の碑がありますが、場所はなぜかもっと南の京橋です。
江戸時代後期には飲食店街になっていたらしく、「江戸名所図会」の挿絵にその様子を見ることができます。
(歩き旅応援舎代表 岡本永義)
東海道歩き旅イベント 参加者募集中
とにかく内容が濃く詳しい、それなのに参加費がリーズナブル。
それが歩き旅応援舎の東海道歩き旅イベントです。
「日帰りで歩く東海道」 日本橋~原宿を日帰りで歩きます。全15回
「京都まで歩く東海道」 原宿~三条大橋を一泊二日で歩きます。全18回
それぞれ月に1回ずつ歩いて、東京の日本橋から京都の三条大橋をめざすイベントです。
以下のイベントが参加者募集中です。途中からでもご参加いただけます。
このブログには書いていないことが、実際の東海道にはいっぱいあります。
もっとくわしくお話をしながらガイドがご案内いたします。
一緒に東海道を歩きませんか?
人生の宝となるような経験、そのためのお手伝いをいたします。
- 日帰りであるく東海道 第4期 国府津~元箱根開催日時
11月23日 国府津~小田原宿
12月28日 小田原宿~箱根湯本
1月25日 箱根湯本~元箱根
参加費 各回3500円 - 京都まであるく東海道 第8期 磐田~国府開催日
10月5~6日 磐田~高塚(受付終了)
11月2~3日 高塚~二川宿(受付終了)
12月7~8日 二川宿~国府
参加費 各回5500円 - 京都まであるく東海道 第9期 国府~熱田宿開催日
2025年
1月12~13日 国府~岡崎宿
2月1~2日 岡崎宿~前後
3月1~2日 前後~熱田宿
参加費 各回6000円 - 日帰りであるく東海道 第1期 日本橋~生麦開催日時
2025年
1月18日 日本橋~品川宿
2月15日 品川宿~蒲田
3月15日 蒲田~生麦
参加費 各回3500円 - 日帰りであるく東海道 第1期 日本橋~生麦開催日時
2025年
4月13日 日本橋~品川宿
5月11日 品川宿~蒲田
6月15日 蒲田~生麦
参加費 各回3500円
※当面の間は日本橋から新たに出発する予定はありません。上記のイベントへのご参加をお勧めします。
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