2024.7.27
東京都中央区には「京橋」という地名があります。
地名のもととなった場所がここ、現在は高速道路がありますが、ここには昭和34年(1959)まで川があり、橋が架けられていたのです。
その橋の名前が京橋です。
東海道の歩き旅を日本橋から歩き始めた場合、江戸時代中期以降は最初にわたる橋が京橋でした。
※江戸時代の前期には東京駅近くに中橋という橋がありました。
→中橋広小路
京橋も川が埋め立てられて高速道路を建設のために廃止されましたが、今もその痕跡があります。
植え込みのように見えるところの内側には歩道に穴が空いて、かつて橋の下を流れていた京橋川の護岸の石が見えるのです。
京橋跡の周辺には、いろいろなものがあります。
まずは江戸歌舞伎発祥の地の碑
ただし、以前にも書きましたが最初の歌舞伎小屋は京橋ではなかったということです。
→中橋広小路
そのお隣には京橋大根河岸の碑
大根河岸は大正時代まであった青物市場です。大正12年(1923)の関東大震災で被災し、築地に移転して築地市場となりました。現在の豊洲市場青果部です。
かつての京橋の親柱もあります。
明治8年に架けられた橋の親柱と、大正11年に架けられた橋の親柱です。
昭和44年(1969)までは、京橋の目の前には7階建てのレンガ建築がありました。第一相互館です。
その模型が跡地にあります。
近くの歩道にはこのような石の塊が置かれています。
ここは大正11年(1922)に建てられた片倉館という繊維会社(現片倉工業)の本社ビルの跡地です。
このビルも平成22年(2010)に解体され、ビルの入口に取り付けてあった石製の装飾が歩道に置かれているのです。
Googleストリートビューに、2009年の片倉館の映像が残っていました。
東海道を歩き始めたばかりですが、休憩がてら京橋を少し見て回るのもよいと思います。
(歩き旅応援舎代表 岡本永義)
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1月25日9:00~16:30ころ 箱根湯本~元箱根
参加費 3500円
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