2024.7.27
日本橋です。
当舎で開催している東海道の歩き旅イベントでの出発点でもありますし、東京の町歩きイベントでも何度も訪れている大切な場所です。
現在の日本橋は明治44年(1911)に架けられたものです。
現在は上に架かった高速道路の高架を撤去する工事中です。2040年度をめどに撤去する予定ですので、高速道路の壁面に取り付けられた「日本橋」のプレートも、まもなく見納めとなります。
日本橋が最初に架けられたのは、慶長8年(1603)のことといわれています。
それ以来架け替えが繰り返されまして、現在の日本橋は20代目だと言われることが多いです。
そこで、その20回がいつの年のことなのか、その根拠と一緒に探してみました。
1回目 慶長8年(1603)
2回目 元和4年(1618)
3回目 万治2年(1659)
4回目 万治9年(1666)
5回目 元禄13年(1700)
6回目 正徳2年(1712)
7回目 宝暦13年(1763)
8回目 安永2年(1773)
9回目 寛政8年(1796)
10回目 文化3年(1806)
11回目 文政6年(1823)
12回目 文政7年(1824)ころ
13回目 文政13年(1830)
14回目 弘化2年(1845)
15回目 弘化3年(1846)
16回目 安政6年(1859)
17回目 万延元年(1860)
18回目 明治5年(1872)
19回目 明治6年(1873)
20回目 明治44年(1911)
1から自分で調べなきゃいけないかと覚悟していたら、中央区教育委員会が昭和53年(1977)に発行した「中央区の文化財3(橋梁)」に架けられた年とその根拠が載っていました。
これなら簡単、らくちんらくちん・・・とまとめたのが上記の1回目から20回目の日本橋の架橋年です。
1回目と2回目が江戸時代初期の「慶長見聞集」、1回目から19回目のうち14回については東京市が編集し明治40年に発行した「東京案内」、そのほかにも「江戸名所図会」を編纂した斎藤月岑の「武江年表」や江戸・東京の火災の記録をまとめると20回の架橋年が出てきました。
ところがこの20回という数字、はなはだ怪しいところが多分にございます。
けっして信じてはいけないと私は思っております。
(歩き旅応援舎代表 岡本永義)
東海道歩き旅イベント 参加者募集中
とにかく内容が濃く詳しい、それなのに参加費がリーズナブル。
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「日帰りで歩く東海道」 日本橋~原宿を日帰りで歩きます。全15回
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それぞれ月に1回ずつ歩いて、東京の日本橋から京都の三条大橋をめざすイベントです。
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このブログには書いていないことが、実際の東海道にはいっぱいあります。
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- 京都まであるく東海道 第10期 桑名宿~土山宿月に1回、一泊二日で歩く東海道五十三次の旅
開催日
2025年
4月5~6日 桑名宿~四日市宿
5月17~18日 四日市宿~亀山宿
6月7~8日 亀山宿~土山宿
参加費 各回6500円 - 日帰りであるく東海道 第1期 日本橋~生麦月に1回日帰りで歩く東海道五十三次の旅
開催日時
2025年
4月13日 日本橋~品川宿
5月11日 品川宿~蒲田
6月15日 蒲田~生麦
参加費 各回3500円 - 日帰りであるく東海道 第2期 生麦~藤沢宿月に1回日帰りで歩く東海道五十三次の旅
開催日時
2025年
4月19日 生麦~保土ケ谷宿
5月24日 保土ケ谷宿~戸塚宿
6月21日 戸塚宿~藤沢宿
参加費 各回3500円 - 日帰りであるく東海道 第5期 元箱根~原宿月に1回日帰りで歩く東海道五十三次の旅
開催日時
2025年
2月22日 元箱根~山中城
3月22日 山中城~三島宿
4月26日 三島宿~原宿
参加費 各回3500円 - 京都まであるく東海道 第6期 原宿~岡部宿月に1回、一泊二日で歩く東海道五十三次の旅
開催日
2025年
10月25~26日 原宿~蒲原宿
11月22~23日 蒲原宿~東静岡
12月27~28日 東静岡~岡部宿
参加費 各回5000円
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