2024.7.28

江戸幕府が官道として定めた東海道は、明治以降の近代化でも大きな役割を果たした道でした。
日本の近代化に大きく貢献した会社や施設の多くは、東海道沿いに造られました。

ビールもその一つです。

東海道を歩いた経験のある人でしたら、東海道沿いでビールというと「生麦のビール工場!」と思い浮かべることが多いでしょう。

キリンビール横浜工場

東海道沿いにあるキリンビール横浜工場は、日本に現存する最古のビール会社であるキリンビールの最初の工場だった山手工場が、関東大震災後に生麦の埋立地に移転してきたものです。

横浜工場内にあるレストランの前には、山手工場のレンガの一部が置かれています。

山手工場のレンガ

ところで、横浜工場よりも以前に、東海道沿いに日本最初のビール施設があったのはご存知でしょうか。

ヒントはこの写真。

出典「最新東京名所写真帖」
国立国会図書館デジタルコレクションより

写っている橋は新橋です。
かつては「新橋」という名の橋が東海道にありました。現在、橋は高速道路建設のために廃止されています。

橋の対岸に写っているのは、左が現在はおもちゃ屋さんになっている博品館、そして右に写っているもの、

明治時代終わりころの恵比壽ビヤホール

これが日本最初のビールレストラン、「恵比壽ビヤホール」なのです。

※銀座ライオンのホームページには「恵比壽ビヤホール」と表記してありますが、この写真を見る限り、店舗での表記は「ヱビスビーアホール」です。

明治32年(1899)、恵比壽ビール(現ヱビスビール)を製造・販売していた日本麦酒は、ビールに慣れていなかった日本人にもっとビールに親しんでもらおうと、東海道沿いでももっとも賑やかだった銀座に、ビールレストランを開店しました。

それが恵比壽ビヤホールです。

残念ながら恵比壽ビヤホールは、大正12年(1923)の関東大震災で倒壊してしまいました。

新橋跡の最近の写真

こちらの写真は今から数年前に撮影した同じ場所の写真。
高速道路の高架の向こう側に写っているのは、左手の白いビルが博品館、右手の赤っぽいビルがすでに解体されてしまった天國ビル。
関東大震災で恵比壽ビヤホールが倒壊した跡地に開店したのが、天ぷら屋さんの天國です。

そして関東大震災の復興が進んでいが昭和9年(1934)、恵比壽ビヤホールの約230メートル日本橋寄りに、銀座ビヤホールが開店しました。
恵比壽ビヤホールの後継施設といってもよいでしょう。

銀座ライオン銀座7丁目店

これが現存最古のビヤホール、現在の銀座ライオン銀座7丁目店です。

壁画も内装も素敵なビールレストラン、国の登録有形文化財にもなっています。

 

(歩き旅応援舎代表 岡本永義)

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