2024.7.28
銀座の中央通りは、江戸時代の東海道です。
だから日本橋から東海道の歩き旅に出発した人は、初日に通る場所です。
旧街道というと鄙びた道を思い浮かべるかもしれませんが、東海道は日本の大動脈でしたから、江戸時代から多くの人が通る賑やかな道でした。
銀座も時代の流れと共に街並みも変わりました。
写真は明治44年(1911)に発行された写真集に掲載された銀座。
こちらは大正時代前期ころの写真です。
そして現在の銀座です。
銀座はもともと高級店の多い町でした。
それにくわえて最近は海外の有名ブランドの路面店が増えてきた印象があります。
特に銀座2丁目の交差点周辺にはそれらブランドショップが並び、「ブランドショップ街」ともいえる一角をなしています。
東海道を日本橋から歩いてくると、右側にはダンヒル、カルティエ、シャネル、
左側にはティファニー、ブルガリ、ルイヴィトンなどのお店が並んでいます。
そのほかにも宝石店や高級時計店が集まり、銀座でも店の入口に長い行列ができているのがこの一帯です。
そして極めつけは、ご丁寧にブランド品の買い取り店まで用意してあるところです。
このブランドショップ街の北側には、買い取り店コメ兵が控えています。
以前はブランドショップ街をコメ兵と挟み込むように大黒屋もあったのですが、令和6年7月時点では工事現場となっていました。
Googleストリートビューでは、大黒屋があったころを見ることができます。
銀座のホステスのみなさまが客からプレゼントされたブランド品を売って、そのお金で自分が欲しかったブランド品を買うという需要があると聞いたことがありますが、真相はさて?
(歩き旅応援舎代表 岡本永義)
【画像出典】
「東京風景」
「関東大震災記念新旧対照」
いずれも国立国会図書館デジタルコレクションより
一緒に東海道を歩きませんか?
ガイドが案内する東海道の歩き旅イベントを開催中です。
日本橋~原宿の「日帰りで歩く東海道」、原宿~三条大橋を一泊二日で歩く「京都まで歩く東海道」、いずれも随時参加者募集中です。
途中から、あるいは一部だけでもご参加いただけます。
- 京都まであるく東海道 第8期 磐田~国府開催日
10月5~6日 磐田~高塚
11月2~3日 高塚~二川宿
12月7~8日 二川宿~国府
参加費 各回5500円 - 日帰りであるく東海道 第3期 大磯宿~国府津開催日時
10月26日9:00~17:00ころ
参加費 3500円 - 日帰りであるく東海道 第4期 国府津~元箱根開催日時
11月23日9:00~16:30ころ 国府津~小田原宿
12月28日9:00~16:30ころ 小田原宿~箱根湯本
1月25日9:00~16:30ころ 箱根湯本~元箱根
参加費 3500円
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