2024.7.29
今は地名や駅名でしかありませんが、もともとは新橋も東海道にある橋の名前でした。
この新橋は大正14年(1925)、関東大震災の復興事業によって架け替えが行われ、街灯付きの立派な親柱を持つ橋に生まれ変わりました。
昭和38年(1963)に新橋の下を流れていた汐留川を埋め立てて高速道路が建設され、そのときに新橋も撤去されてしまいました。
現在では、大正14年の新橋の親柱の1本が跡地である高速道路の高架の脇に残されているだけとなっています。
新橋が初めて架けられたのがいつなのかはっきりしないのですが、日本橋や京橋よりも若干あたらしいと思われます。
東海道宿場制は慶長6年(1601)に始まっていますが、その当時の江戸側の東海道の起点は芝にあったといわれています。
日比谷入江が埋め立てられたことで、東海道が北に延びて日本橋が起点となったのが慶長8年ころ。
承応2年(1652)の地図にはすでに新橋が描かれているので、それまでには新橋が架けられたことがわかります。
これらの経緯と「新橋」という名前から、架橋時期を推測したのです。
この新橋、東海道の交通史を考える上でなかなか重要でして、たとえば日本最初の馬車鉄道は新橋と日本橋との間で明治15年(1882)に開通しています。
ところで、新橋には一時期城門が設けられていたことがあります。
汐留川を江戸城の外堀の一部として、東海道に城門を設けたのです。
城門が設けられたのは宝永7年(1710)、建設を決めた人は将軍徳川家宣のお気に入りの学者だった新井白石です。もともと家宣の“家庭教師”だったのですが、家宣が将軍になったことで旗本となり、政治顧問のような形で幕府内で絶大な権力をもっていたとされています。
朝鮮国から外交使節団「朝鮮通信使」がやってくるのに合わせて、東海道に立派な門を築くことを考えたのです。
この門は芝口門と呼ばれました。
日本橋から始まる東海道も、新橋より先は芝だというのが当時の認識だったのでしょう。
新橋跡の交差点近くに、芝口門の碑があります。
この門は14年後の享保9年(1724)に火災で焼失し、再建されることはありませんでした。
門の建設によって新橋も芝口橋と名を変えていましたが、門がなくなったことでだんだんと元の新橋という呼び名に戻っていきました。
橋の名前が江戸時代なかばくらいから「新橋」だったのに対して、町の名前が「新橋」となったのは昭和7年(1932)のことです。それまでは芝口、源助町、露月町、柴井町、宇田川町などと、江戸時代とあまり変わっていませんでした。
(歩き旅応援舎代表 岡本永義)
【画像出典・参照文献】
享保8年江戸図
「東京府名勝図会」
「建築写真類聚第5期第17(橋梁巻2)」
上記はいずれも国立国会図書館デジタルコレクションより
「中央区の文化財3(橋梁)」
「麹町区史」
「中央区史}
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