2024.7.30

以前に銀座のブランドショップのお話をしました。
→銀座のブランドショップ街

銀座2丁目の交差点付近に集まったブランドショップの中に、カルティエがあります。

銀座のカルティエ

この店の前に、レトロな街灯が立っているのをご存知でしょうか?

カルティエ前の街灯

これは日本で初めて電気灯が屋外に点灯された場所に建てられた、その街灯を復元した記念碑なのです。

電気灯を復元した記念碑

建てられた年は昭和31年(1956)、歩道の拡幅によって昭和44年(1969)に位置が移動し、そのときに電灯部分を作り直しています。
平成23年(2011)の東日本大震災で一時撤去されたことがありましたが、平成28年に再びもとの位置に建て直されています。

復元された電灯部分

1階にカルティエの店舗のあるビルは大倉本館といいまして、今は中央建物が所有するオフィスビルですが、ここはもともと大倉喜八郎が創設した財閥、大倉組の本拠地だった場所です。

大倉喜八郎
(国立国会図書館デジタルコレクションより)

大倉組や大倉財閥と聞いてもあまりピンと来ませんが、大成建設やホテルオークラ、そして中央建物などが大倉組の系統を引く企業にあたります。

明治15年(1882)11月1日午後7時30分、矢嶋作郎、藤岡市助らによって設立準備中だった東京電燈会社が、この場所において日本で初めて屋外での電気灯を点灯しました。
この東京電燈会社は、その後合併などをへて現在の東京電力となっています。

電気灯点灯当時の写真
(国立国会図書館デジタルコレクションより)

この会社設立には大倉喜八郎が率いる大倉組も関わっていました。
そのため大倉組の前に電気灯柱が立てられたのです。
写真の左側に写っている建物が、大倉組の事務所です。

灯油もガスも使わずに明かりを灯すといっても、明治前期のこのころに信じる人なんていません。
だから人通りが多い銀座の中央通りの大倉組の前に電気灯柱を立てて、点灯のデモンストレーションが行われたのです。

カルティエが入っている大倉本館の壁には、その時の様子を描いたレリーフが取り付けられています。

カルティエの店舗の外壁のレリーフ

このときの電源として大倉組の建物内に発電機を設置し、そこから電気を引いて電気灯に点灯し、午後7時30分から午後10時まで電気灯は光り続けたそうです。
さきほどのレリーフをよく見ると、大倉組から電線が電気灯柱につながっているのが描かれています。

大倉組から電気灯柱に引かれた電線

私たちはいつも当たり前に電気を使用しています。
このブログも書くのに使っているパソコンも電気がなければ動きません。
日本における電気使用の嚆矢となった場所も、東海道にあったのです。

ところで、このレリーフのもとは浮世絵「東京銀座通電気燈建設之図」です。
明治16年に野沢定吉によって描かれたもので、こちらのマスプロ美術館のサイトで見ることができます。
→マスプロ美術館に所蔵される激動の幕末・明治の開化絵

ところで、東京電灯会社の創設者の一人である矢嶋作郎は、東海道の蒲原宿と関わりがあります。

旧五十嵐歯科医院

写真は登録有形文化財、蒲原宿の旧五十嵐歯科医院です。
矢嶋作郎は蒲原の高台の上に別荘を持っていました。
その別荘を後に買い取ったのがこの建物の持主、歯科医師の五十嵐準なのです。

東海道を蒲原宿まで歩いたら、銀座のカルティエを思い出してください。

 

(歩き旅応援舎代表 岡本永義)

【参照文献・画像出典】
「電気協会雑誌305号・761号」
「ニコニコ写真帖」
「大成建設社史」
「逓信事業史」

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