2024.8.1
港区の東海道沿いに、三田という地名があります。
本来の文字は「御田」で、一説によると伊勢神宮の田地があったことが地名の由来ともいわれています。
ただし現在と同じ「三田」も、すくなくとも戦国時代から使われていたようですので、伊勢神宮の説がそこまで本当なのかはわかりません。
三田には東海道から参道が始まっている神社があります。
御田八幡神社です。
すっかりビルだらけになってしまって、ちょっと見ただけじゃどこに神社があるのかわかりません。
神社があるのは「御田八幡神社」と書いてあるビルの隣です。
江戸時代後期に発行された東海道のガイドブック「東海道名所図会」にも挿絵が載っています。
この絵のとおり、背後が高台になっていて、今も石段を昇った上に本殿がある神社です。
社伝によると和銅2年(709)に牟佐志国牧岡というところに創建された稗田神社が始まりで、平安時代の寛弘8年に三田に移転し、現在地には江戸時代の寛永5年(1626)に遷座したそうです。
牧岡がどこなのかよくわからないのですが、東海道を先に歩いた蒲田に八幡神を祭神とする薭田神社がありますので、ここのことかも知れません。
玉垣をよく見ると、有名人の寄進があったり、
赤穂浪士の吉良邸討ち入りのときには、討ち入りには参加しなかった槍の名人の旧赤穂藩士、高田郡兵衛が祝い酒をもって泉岳寺へと向かう元同僚の四十七士たちの跡を、この神社まで追ってきたという話も残されています。
ただ、四十七士たちからすると高田郡兵衛は「命惜しさに逃げたやつ」なのです。
郡兵衛は四十七士たちから無視され、御田八幡神社の前から虚しく帰っていったということです。
江戸時代から現在にいたるまでさまざまな出来事があった御田八幡神社ですが、江戸時代には東海道を旅する人たちにとってありがたい神社でもありました。
「江戸名所図会」の挿絵を拡大してみます。
すると石段の横から湧き水が噴出していることがわかります。
御田八幡神社は三田台と呼ばれる台地の下にありますので、竜の形をした吹き出し口から、豊富な湧水が湧いていたのです。
現在も神社の石段は昔のままあります。
その石段の横をよく見ると・・・
なんとこの湧き水と竜の形をした噴き出し口、今でもあるのです。
さすがに水量は減りましたが、「東海道名所図会」に描かれた風景を今も見ることができる場所です。
(歩き旅応援舎代表 岡本永義)
東海道歩き旅イベント 参加者募集中
とにかく内容が濃く詳しい、それなのに参加費がリーズナブル。
それが歩き旅応援舎の東海道歩き旅イベントです。
「日帰りで歩く東海道」 日本橋~原宿を日帰りで歩きます。全15回
「京都まで歩く東海道」 原宿~三条大橋を一泊二日で歩きます。全18回
それぞれ月に1回ずつ歩いて、東京の日本橋から京都の三条大橋をめざすイベントです。
以下のイベントが参加者募集中です。途中からでもご参加いただけます。
このブログには書いていないことが、実際の東海道にはいっぱいあります。
もっとくわしくお話をしながらガイドがご案内いたします。
一緒に東海道を歩きませんか?
人生の宝となるような経験、そのためのお手伝いをいたします。
- 京都まであるく東海道 第10期 桑名宿~土山宿月に1回、一泊二日で歩く東海道五十三次の旅
開催日
2025年
4月5~6日 桑名宿~四日市宿
5月17~18日 四日市宿~亀山宿
6月7~8日 亀山宿~土山宿
参加費 各回6500円 - 日帰りであるく東海道 第1期 日本橋~生麦月に1回日帰りで歩く東海道五十三次の旅
開催日時
2025年
4月13日 日本橋~品川宿
5月11日 品川宿~蒲田
6月15日 蒲田~生麦
参加費 各回3500円 - 日帰りであるく東海道 第2期 生麦~藤沢宿月に1回日帰りで歩く東海道五十三次の旅
開催日時
2025年
4月19日 生麦~保土ケ谷宿
5月24日 保土ケ谷宿~戸塚宿
6月21日 戸塚宿~藤沢宿
参加費 各回3500円 - 日帰りであるく東海道 第5期 元箱根~原宿月に1回日帰りで歩く東海道五十三次の旅
開催日時
2025年
2月22日 元箱根~山中城
3月22日 山中城~三島宿
4月26日 三島宿~原宿
参加費 各回3500円 - 京都まであるく東海道 第6期 原宿~岡部宿月に1回、一泊二日で歩く東海道五十三次の旅
開催日
2025年
10月25~26日 原宿~蒲原宿
11月22~23日 蒲原宿~東静岡
12月27~28日 東静岡~岡部宿
参加費 各回5000円
最新のブログ記事
- 矢田部盛治 戊辰戦争から三島宿を守った神官三嶋大社の境内に建っている銅像、幕末から明治にかけての三嶋大社の宮司だった矢田部盛治です。どのような人物だったのでしょうか?
- 2つの伊勢街道 伊勢神宮と街道が東海道に及ぼした影響東海道では伊勢神宮に向かう街道が2箇所から始まっていました。この街道と伊勢神宮が東海道五拾三次に与えた影響とは、どのようなものだったのでしょう?
- 初音が原 1キロの松並木と国指定史跡の一里塚長かった箱根の坂を西へと下ったところに、約1キロにわたる松並木があります。その中には現存する一里塚も。ここが初音が原です。
- 北町奉行所跡と江戸城外堀の石垣石 「べらぼう」に無理矢理こじつけて東京駅の八重洲北口の近くに、北町奉行所の跡地があります。ここに北町奉行所が移転してくる前、大河ドラマ「べらぼう」に関わりのある人たちが住んでいたのです。
- 一柳直末の墓 全部で3箇所、箱根に2箇所ある墓の謎箱根西坂の山中城では、1590年に小田原へと進む豊臣秀吉の軍と阻止しようとする北条軍との間で激戦が起こりました。そのとき豊臣軍の先鋒として戦死した一柳直末のお墓の話です。