日本最初の鉄道は新橋から横浜にかけて明治5年10月に開業したことになっていますが、実はその年の6月に一足早く品川から横浜が仮開業していました。
→品川駅創業祈念碑
ところがところが、なんと仮開業よりも先に列車に乗っちゃった人たちがいるのです!
新しいものを造ろうとすると反対する人たちが大勢出てくるのは今も昔も変わりません。
日本最初の鉄道を造るときにも・・・
「内政も外交も問題山積のときに、鉄道など不要不急のものを造るべきでない!」
「鉄道自体には反対しないが、皇居の東を通るのは反対である。鉄道を使って皇居が攻められるではないか!」
「湯を湧かして車を動かすなどバテレンの魔法である。そんなものに騙されてはいけない!」
いろんな反対意見が政府内外から出たそうです。
それでもいざ線路が敷かれて汽車を走らせることができるようになると、興味津々で我慢できなくなったのか、何人もの人たちが開業前に「試運転」名目で運行された列車に乗っています。
それはだれか?
明治政府の高官たちです。
まず開業の前年、明治4年8月4日に三条実美が「試運転」された列車に乗車しています。
三条はまず横浜に行き、そこから乗車して神奈川宿で降りています。
もちろんまだ駅はできていません。踏み台などを使って客車に乗ったのでしょう。
翌8月5日には、木戸孝允、大隈重信、後藤象二郎、吉井源馬が誘い合わせて神奈川から横浜に試乗しています。
三条実美も前日の乗車がよほど楽しかったのか、この日も横浜から神奈川にかけて乗っています。
ちなみに横浜に行った木戸孝允たちは、高島嘉右衛門が経営する旅館に宿泊しています。
高島嘉右衛門は政府から請け負って神奈川宿から横浜までの海で埋立工事を行い、鉄道敷設用の築堤を造成した張本人です。
なお、木戸孝允はこのときのことを日記に書いているのですが、大隈重信のことを一貫して「大隅」と誤記しています。
大久保利通も開業の約1年前の明治4年9月21日に横浜から川崎まで、10月24日には品川から横浜まで乗っています。
大久保は10月24日に乗ったときには、木戸孝允、西郷従道を誘い、横浜に行って外国人経営の商店で買い物をして高島嘉右衛門の旅館に宿泊しています。
横浜でお買い物をするために
「試運転」をさせたのか?!
今だったら辞職騒動になりかねない行動ですが、そこは明治初期です。
「俺が政府を動かしているんだ。だから政府のものは俺のもの。どこがおかしい?」
そんな時代のお話です。
(歩き旅応援舎代表 岡本永義)
【画像出典・参照文献】
画像はいずれも国立国会図書館デジタルコレクションより
「汐留・品川・桜木町駅百年史」
「近世名士写真」
「呑象高島嘉右衛門翁伝」
「鐵道一瞥」
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