江戸時代の古地図を見ると、品川宿には東海寺という巨大寺院が描いてあります。
このお寺は品川宿の西側にあり、長い参道が東海道まで続いていました。
参道の入口は善福寺と法善寺の間、ここに黒門と呼ばれた門が設けられていました。
そのために善福寺と法善寺の間の道は黒門横町と呼ばれています。
東海寺を開いたのは沢庵宗彭和尚、沢庵漬けの名前の由来となったと言われているお坊さんです。
沢庵漬けの発明者といわれることもありますが、干した大根のぬか漬けは沢庵和尚よりも前からあったことはわかっていますので、大根の漬物に有名人だった僧侶の名前をつけたというのが事実に近いと思われます。
沢庵和尚は中学校の歴史の時間に名前が出てきます。
幕府が天皇の権威を否定した「紫衣事件」で流罪になった僧侶です。
本当の紫衣事件はこんなに単純な事件ではなかったようですが、京都の大徳寺の僧だった沢庵は紫衣事件で幕府によって上山(かみのやま、今の山形県)に流罪になりました。
しかし大名や旗本にも信奉者の多かった沢庵は2年ほどで赦され、柳生宗矩の仲介で3代将軍の徳川家光に会いました。
これで家光は沢庵に傾倒してしまい、沢庵を京都に帰したくなくなり品川に沢庵の屋敷を建てて住まわせました。
この屋敷が寺になったのが東海寺です。
ただし寺になった時期はよくわからず、沢庵が寺にしたのではなく、その死後だったという説もあります。
そんなわけで東海寺の境内には多くの大名が自家の菩提寺を建てました。
今でも品川にはその名残があります。
肥後熊本藩の細川家の墓所(妙解院跡)
中津藩奥平家と高槻藩永井家の墓所(清光院)
5代将軍徳川綱吉の母桂昌院が奉納した梵鐘
家光側近の老中堀田正盛と一族の墓
沢庵の墓も東海寺の裏だった場所にあたる大山墓地にあります。
沢庵の墓は江戸時代の観光ガイドブック「江戸名所図会」にも載っています。
江戸時代から観光名所だったようです。
ところでこの東海寺、明治以降に急速に衰退して、廃寺となってしまいました。
理由は広大な土地を新政府に接収され、鉄道用地、高官の屋敷地、学校や官営工場の用地となってしまいました。
また、江戸時代が終わり大名たちの寄進を減り、そのため寺が存続できなくなって廃寺になってしまいました。
現在東海寺を名乗っているお寺は、もと東海寺の塔頭だった玄性院です。
先に出てきた堀田家の菩提寺で、堀田正盛が建てたお寺です。
広大だった東海寺の跡にはJRの路線があるほか、学校や公園もあります。
国道15号も参道跡地に造られました。
恐竜まで住んでいます。
(歩き旅応援舎代表 岡本永義)
東海道歩き旅イベント 参加者募集中
とにかく内容が濃く詳しい、それなのに参加費がリーズナブル。
それが歩き旅応援舎の東海道歩き旅イベントです。
「日帰りで歩く東海道」 日本橋~原宿を日帰りで歩きます。全15回
「京都まで歩く東海道」 原宿~三条大橋を一泊二日で歩きます。全18回
それぞれ月に1回ずつ歩いて、東京の日本橋から京都の三条大橋をめざすイベントです。
以下のイベントが参加者募集中です。途中からでもご参加いただけます。
このブログには書いていないことが、実際の東海道にはいっぱいあります。
もっとくわしくお話をしながらガイドがご案内いたします。
一緒に東海道を歩きませんか?
人生の宝となるような経験、そのためのお手伝いをいたします。
- 日帰りであるく東海道 第2期 生麦~藤沢宿月に1回日帰りで歩く東海道五十三次の旅
開催日時
2025年
4月19日 生麦~保土ケ谷宿
5月24日 保土ケ谷宿~戸塚宿
6月21日 戸塚宿~藤沢宿
参加費 各回3500円 - 日帰りであるく東海道 第5期 元箱根~原宿月に1回日帰りで歩く東海道五十三次の旅
開催日時
2025年
2月22日 元箱根~山中城
3月22日 山中城~三島宿
4月26日 三島宿~原宿
参加費 各回3500円 - 日帰りであるく東海道 第1期 日本橋~生麦月に1回日帰りで歩く東海道五十三次の旅
開催日時
2025年
4月13日 日本橋~品川宿
5月11日 品川宿~蒲田
6月15日 蒲田~生麦
参加費 各回3500円 - 京都まであるく東海道 第10期 桑名宿~土山宿月に1回、一泊二日で歩く東海道五十三次の旅
開催日
2025年
4月5~6日 桑名宿~四日市宿
5月17~18日 四日市宿~亀山宿
6月7~8日 亀山宿~土山宿
参加費 各回6500円 - 京都まであるく東海道 第6期 原宿~岡部宿月に1回、一泊二日で歩く東海道五十三次の旅
開催日
2025年
10月25~26日 原宿~蒲原宿
11月22~23日 蒲原宿~東静岡
12月27~28日 東静岡~岡部宿
参加費 各回5000円
最新のブログ記事
- 伊豆の国分寺と国分尼寺 三島にあった官寺の跡江戸時代に東海道五十三次の一つ、三島宿が設けられた三島は、伊豆国の国府があった場所で、奈良時代には国分寺と国分尼寺が築かれました。その2つの寺の跡の伝承と現実を訪ねます。
- 本陣の門 三島宿で移築された本陣建造物東海道11番目の宿場、三島には2軒の本陣がありました。それら本陣の門は、三島宿内に移築されて残っています。
- 桑名の焼きハマグリ ブラタモリ「桑名で食べて伊勢参り」は本当か?「その手は桑名の焼きハマグリ」 よく聞くせりふですが、ここに出て「桑名の焼きハマグリ」とはどのようなものなのでしょうか?
- 沼波弄山 江戸でも売られていた萬古焼の始祖かつては湊町だった桑名宿に、沼波弄山という廻船問屋がいました。この沼波弄山が趣味で作り始めた陶器が、現在は四日市の地場産業となっています。
- 伊勢神宮の鳥居 東海道でリサイクルされている鳥居とは?東海道も伊勢国(三重県)に入ると、あちらこちらに伊勢神宮の影響が見えてきます。ところどころに設置された鳥居もそのひとつです。それらの鳥居の中にはリサイクルされているものもありまして・・・