東海道は東京日本橋から京都三条大橋まで約530キロあります。
この長い東海道のあちこちに残っている物語があります。
ヤマトタケル伝説です。
ヤマトタケルは「古事記」「日本書紀」に記述のある古代の英雄です。
内容は「古事記」と「日本書紀」とでだいぶ異なりますが、共通するのは景行天皇の皇子であるヤマトタケルが九州から関東まで遠征をし、大和の都に戻る途中で死ぬという点です。
物語としてはヤマトタケルが父に従順な青年将軍である「日本書紀」よりも、父に嫌われて遠征に出される悩みや途中で妻を失う悲しみをかかえ、最後は故郷を想いながら死んでいく「古事記」の方が面白いです。
なお、この物語の主人公であるヤマトタケルは、「古事記」では「倭建命」、「日本書紀」では「日本武尊」と表記されます。
読み方は両方とも「ヤマトタケルノミコト」です。
東海道を日本橋から歩いたとき、このヤマトタケルの物語に最初に出会うのが品川宿なのです。
品川宿の漁師たちが住んでいた洲崎、目黒川が運んできた土砂が堆積してできた半島状の土地です。
ここに寄木神社があります。
寄木神社は漁村にあっただけあって、海の航行の安全と豊漁の御利益があります。
その御利益をもたらす祭神はオトタチバナヒメ。ヤマトタケルの妻です。
「古事記」「日本書紀」ではヤマトタケルが走水の海(現在の浦賀水道)を渡ろうとしたところ海が荒れ、これを鎮めるためにオトタチバナは自ら海の神への生け贄となるため入水してしまいます。
ここからは「古事記」にも「日本書紀」にもない品川宿オリジナルの話です。
海は渡れたものの妻を失い悲しみにくれるヤマトタケルは、東征の帰途にオトタチバナとともに沈んだ船の破片を見つけます。
波に吹き寄せられたそれらの木くずを埋葬して死んだオトタチバナを祀ったのが、寄木神社の始まりと伝わっています。
あ れ ?
オトタチバナって船が沈んで死んだんじゃなくて、入水したんじゃなかったっけ?
あくまで伝説ですから細かい矛盾点に突っ込むのは、この際やめておきましょう。
こうしてオトタチバナヒメは寄木神社に祀られ、航海の安全と豊漁の神様となったのです。
東海道には、このようなヤマトタケルに関わる物語が転々と残されています。
「古事記」「日本書紀」に記述のあるものもありますが、記載されていない話もあります。
重複している話もあり、たとえば大森の貴船神社にも、寄木神社に伝わるヤマトタケルとオトタチバナヒメの物語と同じ話が伝わっています。
東海道に伝わるヤマトタケルの物語は面白いので、今後も東海道を歩きながらご案内していきます。
(歩き旅応援舎代表 岡本永義)
東海道歩き旅イベント 参加者募集中
とにかく内容が濃く詳しい、それなのに参加費がリーズナブル。
それが歩き旅応援舎の東海道歩き旅イベントです。
「日帰りで歩く東海道」 日本橋~原宿を日帰りで歩きます。全15回
「京都まで歩く東海道」 原宿~三条大橋を一泊二日で歩きます。全18回
それぞれ月に1回ずつ歩いて、東京の日本橋から京都の三条大橋をめざすイベントです。
以下のイベントが参加者募集中です。途中からでもご参加いただけます。
このブログには書いていないことが、実際の東海道にはいっぱいあります。
もっとくわしくお話をしながらガイドがご案内いたします。
一緒に東海道を歩きませんか?
人生の宝となるような経験、そのためのお手伝いをいたします。
- 日帰りであるく東海道 第4期 国府津~元箱根開催日時
11月23日 国府津~小田原宿
12月28日 小田原宿~箱根湯本
1月25日 箱根湯本~元箱根
参加費 各回3500円 - 京都まであるく東海道 第9期 国府~熱田宿開催日
2025年
1月12~13日 国府~岡崎宿
2月1~2日 岡崎宿~前後
3月1~2日 前後~熱田宿
参加費 各回6000円 - 日帰りであるく東海道 第1期 日本橋~生麦開催日時
2025年
1月18日 日本橋~品川宿
2月15日 品川宿~蒲田
3月15日 蒲田~生麦
参加費 各回3500円 - 日帰りであるく東海道 第1期 日本橋~生麦開催日時
2025年
4月13日 日本橋~品川宿
5月11日 品川宿~蒲田
6月15日 蒲田~生麦
参加費 各回3500円
※当面の間は日本橋から新たに出発する予定はありません。上記のイベントへのご参加をお勧めします。
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