2024.8.9
江戸時代後期の東海道品川宿のデータです。
天保14年(1843)ころの調査結果をまとめた「東海道宿村大概帳」から引用しました。
人口 6890人(男3272人 女3618人)
戸数 1561軒
本陣 北品川宿1軒
脇本陣 南品川宿1軒 歩行新宿1軒
旅籠屋 合計93軒 大9軒 中66軒 小18軒
問屋場 南品川宿に1か所
貫目改所 南品川宿に1か所
高札場 北品川宿に1か所 そのほかに浦高札1か所が猟師町にあり
東側入口 土居
西側入口 土居
道幅 3間半
江戸時代末頃の品川宿
現在の品川宿
品川宿は慶長6年(1601)の成立当初は北品川と南品川の2つの町から成り立っていましたが、北品川の北に広がった茶屋町を享保7年(1722)に幕府は品川宿に加え、これが歩行新宿となりました。
それ以来、品川宿は歩行新宿、北品川、南品川の3つの町から成っていました。
本陣の跡は聖蹟公園になっています。
公園の名の「聖蹟」は東京遷都の折に明治天皇が休憩したことによります。
品川宿の本陣はたびたび入れ替わっており、江戸が近いせいか経営が難しかったことが見て取れます。
当初は北品川と南品川に1軒ずつ、合計2軒の本陣があったらしいのですが、詳細は不明です。
明和年間(1764~72)ころには歩行新宿に1軒だけとなり、その後聖蹟公園の場所に本陣が移りました。
聖蹟公園は鶴岡家の住居のあった場所で、鶴岡家は寛政年間(1789~1801)から本陣を務めていました。
しかし文化8年(1811)に火災に遭って本陣の経営が困難となったことから、品川宿の本陣は品川宿の3つの町の共同経営となり、鶴岡家は家屋の管理をするだけとなりました。
万延元年(1860)からは家屋の管理も烏山家に交替しています。
脇本陣は2軒、南品川と歩行新宿にありました。
南品川の脇本陣は、品川橋の南詰めにありました。
現在は城南信用金庫になっている場所です。
歩行新宿の脇本陣は善福寺のすぐ近くで、跡地はマンションになっています。
「東海道宿村大概帳」には脇本陣は南品川と歩行新宿と書いてありますが、文政3年(1820)ころまでは北品川と歩行新宿に脇本陣がありました。
北品川の脇本陣は、現在一心寺がある場所とされています。
北品川の脇本陣はその後廃業したらしく、新たに南品川の脇本陣が開かれたようです。
「東海同宿村大概帳」には問屋場は南品川に1か所となっていますが、もともとは北品川と南品川の2か所にありました。
北品川の問屋場は、品川橋の少し北、現在ホテルがある近くでした。
文政6年(1823)に品川宿で大火があり、問屋場が2か所とも焼けてしまったため、問屋場機能を南品川に集約したのです。
南品川の問屋場の跡は菓子製造会社となっています。
貫目改所は問屋場に付随した施設で、伝馬の馬の過積載を検査していた場所です。東海道では品川宿、府中宿、草津宿の問屋場に設けられていました。
高札場は品川橋の北詰にありました。
高札とは当時の取り決めごとや伝馬の料金、禁令などが書かれた木の札のことです。
品川宿の高札場には11枚の高札が掲示してありました。
浦高札は品川宿が漁村でもあったことから、港の取り決めごとなどが記された浦高札が、宿場の高札場とは別に設置してありました。
浦高札に掲げられていた高札4枚のうち2枚が現存しています。
品川宿の東(江戸側)の入口と西(京都側)の入口には、それぞれ土居が設けられていました。
土居とは土を盛り上げたちょっと厚めの塀のようなものです。
周囲を石垣で固定したり、上に竹矢来が設けられるなどしていました。
平塚宿には土居が復元されています。
品川宿の土居は、東側が長さ6間幅1間、西側が長さ2間幅1間で、東の土居の方が3倍の大きさがありました。
東側の土居は八ツ山の前、西側の土居は青物横丁(現ジュネーヴ平和通り)と品川寺の間に設けられていました。
八ツ山は幕末の台場建設と明治の鉄道敷設で消滅しましたが、八ツ山橋辺りと思われます。
東の入口には代官支配地を示す傍示杭も設置されていました。
京急線の踏切近くに傍示杭が復元されていますが、この場所よりももう少し日本橋寄りだったかも知れません。
なお、傍示杭は現在は道の左側(東側)にありますが、当時の絵図には道の右側(西側)に描いてあります。
西側の土居は当時の絵図に品川寺よりも日本橋寄りに描かれているにもかかわらず、「東海道宿村大概帳」には品川寺を品川宿に含めるなど、西の宿場入口についてファジーなところがあります。
品川寺の前には観音前立場があったのですが(立場とは茶屋のある街道の休憩施設)、この観音前立場について「東海道宿村大概帳」は品川宿と川崎宿の間としています。
ますますファジーです。
道幅は3間半ですから、約6.4メートルです。
現在の道幅とほとんど変わりません。
(歩き旅応援舎代表 岡本永義)
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