2024.8.11
東海道を歩いて京急線の雑色駅前まで来ると、駅前から東に向かう商店街には街灯に「水門通り」という表示が出ています。
でもこの「水門」って、なんなのでしょう?
水門通りを歩いてみました。
水門通りは個人商店が多く、なかなかユニークなお店がある昔ながらの商店街です。
第二次大戦中の空襲被害が少なかったのか、昭和初期~中期ころと思われる建物も見かけます。
多摩川の北岸には、江戸時代初期に六郷用水が築かれました。
多摩川が氾濫を繰り返して荒れた土地に用水路を引き、ここを農地に変えようとしたのです。
これを行ったのは幕府の代官小泉次太夫です。
多摩川両岸の将軍直轄領の代官で、多摩川の南岸にも同じように二ヶ領用水を築いています。
多摩川から水が引かれていくつにも分岐した六郷用水は、今や暗渠になったり下水管に置き換えられてその跡をとどめています。
水門通りを歩いていると、六郷用水の暗渠とたびたび交差します。
そしてついに「水門通り」の謎が明かされるときが来ました。
水門通りをまっすぐ進んだ多摩川岸に、六郷用水が余った水を川へと流していた水路の合流点があり、ここに昭和6年に完成した水門があるのです。
昭和初期のレンガ造りの水門です。「六郷水門」といいます。
土台部分が金森式鉄筋レンガというレンガと鉄骨を組み合わせた丈夫なレンガ積みでできています。
考案した人は金森誠之(しげゆき)、当時多摩川改修事務所長だった人です。
東海道を歩いている途中で寄るには少し遠回りではありますが、昭和初期にレンガとコンクリートで築かれた水門は一見の価値があります。
お手洗いも水門の形・・・
実は東海道を歩いて多摩川を渡るときも、六郷橋の上からとおーーーーくの方に見えているのです。
(歩き旅応援舎代表 岡本永義)
東海道歩き旅イベント 参加者募集中
とにかく内容が濃く詳しい、それなのに参加費がリーズナブル。
それが歩き旅応援舎の東海道歩き旅イベントです。
「日帰りで歩く東海道」 日本橋~原宿を日帰りで歩きます。全15回
「京都まで歩く東海道」 原宿~三条大橋を一泊二日で歩きます。全18回
それぞれ月に1回ずつ歩いて、東京の日本橋から京都の三条大橋をめざすイベントです。
以下のイベントが参加者募集中です。途中からでもご参加いただけます。
このブログには書いていないことが、実際の東海道にはいっぱいあります。
もっとくわしくお話をしながらガイドがご案内いたします。
一緒に東海道を歩きませんか?
人生の宝となるような経験、そのためのお手伝いをいたします。
- 日帰りであるく東海道 第4期 国府津~元箱根開催日時
11月23日 国府津~小田原宿
12月28日 小田原宿~箱根湯本
1月25日 箱根湯本~元箱根
参加費 各回3500円 - 京都まであるく東海道 第9期 国府~熱田宿開催日
2025年
1月12~13日 国府~岡崎宿
2月1~2日 岡崎宿~前後
3月1~2日 前後~熱田宿
参加費 各回6000円 - 日帰りであるく東海道 第1期 日本橋~生麦開催日時
2025年
1月18日 日本橋~品川宿
2月15日 品川宿~蒲田
3月15日 蒲田~生麦
参加費 各回3500円 - 日帰りであるく東海道 第1期 日本橋~生麦開催日時
2025年
4月13日 日本橋~品川宿
5月11日 品川宿~蒲田
6月15日 蒲田~生麦
参加費 各回3500円
※当面の間は日本橋から新たに出発する予定はありません。上記のイベントへのご参加をお勧めします。
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