2024.8.13
東海道を品川宿から川崎宿へと歩いて行くと、京急線の梅屋敷駅と蒲田駅の間に梅屋敷公園という場所があります。
現在の地図では、体育館から国道(東海道)をはさんだ向かい側、池が書いてあるところになります。
梅路翁と号した山本久三郎が営む茶屋のあった場所で、久三郎は文政年間(1818~29)ころに茶屋の周りに梅の木を植え、梅林をつくりました。
その梅林が東海道の観光名所となり、茶屋は「梅屋敷」と呼ばれるようになりました。
梅屋敷は幕末から明治にかけて評判となり、外国人も多く訪れたそうです。
浮世絵にも描かれるほどの名所でした。
今は小さな公園ですが、もともとは京急線の高架のある場所も、第一京浜(国道15号)になっている東海道の向かいにある大田区の体育館も、梅屋敷の敷地でした。
大正11年(1922)の地図には、まだ広かったころの梅屋敷が描いてあります。
ちなみに、今は約200メートル離れた場所にある梅屋敷駅も、当時はまだ路面電車だった京急線の駅として梅屋敷の目の前にあったことがわかります。
しかし、大正7年(1918)には京浜国道(もとの東海道、現在の第一京浜)の拡張工事によって園地が大きく削られ、同じころに路面電車だった京急線が独自の路線を梅屋敷の西方に敷いたことで、現在のような小さな公園となってしまいました。
時代の流れとともに縮小してしまった東海道の名所、梅屋敷。
現在公園となっている梅屋敷もやがて第一京浜、かつての東海道の渋滞対策による道路拡張で、園地がなくなってしまうという話もあります。
時の流れの中で永遠を保つは不可能に近いことですが、それでもやはり東海道の名所が消えてしまうのはたいへんに残念なことです。
(歩き旅応援舎代表 岡本永義)
【画像出典】
国立国会図書館デジタルコレクション
東海道歩き旅イベント 参加者募集中
とにかく内容が濃く詳しい、それなのに参加費がリーズナブル。
それが歩き旅応援舎の東海道歩き旅イベントです。
「日帰りで歩く東海道」 日本橋~原宿を日帰りで歩きます。全15回
「京都まで歩く東海道」 原宿~三条大橋を一泊二日で歩きます。全18回
それぞれ月に1回ずつ歩いて、東京の日本橋から京都の三条大橋をめざすイベントです。
以下のイベントが参加者募集中です。途中からでもご参加いただけます。
このブログには書いていないことが、実際の東海道にはいっぱいあります。
もっとくわしくお話をしながらガイドがご案内いたします。
一緒に東海道を歩きませんか?
人生の宝となるような経験、そのためのお手伝いをいたします。
- 日帰りであるく東海道 第4期 国府津~元箱根開催日時
11月23日 国府津~小田原宿
12月28日 小田原宿~箱根湯本
1月25日 箱根湯本~元箱根
参加費 各回3500円 - 京都まであるく東海道 第9期 国府~熱田宿開催日
2025年
1月12~13日 国府~岡崎宿
2月1~2日 岡崎宿~前後
3月1~2日 前後~熱田宿
参加費 各回6000円 - 日帰りであるく東海道 第1期 日本橋~生麦開催日時
2025年
1月18日 日本橋~品川宿
2月15日 品川宿~蒲田
3月15日 蒲田~生麦
参加費 各回3500円 - 日帰りであるく東海道 第1期 日本橋~生麦開催日時
2025年
4月13日 日本橋~品川宿
5月11日 品川宿~蒲田
6月15日 蒲田~生麦
参加費 各回3500円
※当面の間は日本橋から新たに出発する予定はありません。上記のイベントへのご参加をお勧めします。
最新のブログ記事
- 白河藩松平家 「べらぼう」で松平定信が嫌がった養子先とは?大河ドラマ「べらぼう」では、蔦屋重三郎の活躍の一方で、幕府内の権力争いなどが描かれています。その中で松平定信が嫌々ながら養子に行きました。養子先の白河の松平家とはどういう家なのでしょう?
- 正眼寺と曾我兄弟 東海道沿いになぜ曾我兄弟の墓があるのか?箱根宿に向けて坂道がつづく東海道。その途中に曾我兄弟のお墓があります。あまり目立たないお墓なのですが、なぜここに曾我兄弟の墓があるのかを探りました。
- 早雲寺 北条早雲の名を冠する箱根湯本のお寺箱根湯本にある早雲寺。箱根湯本から箱根宿へと向かう上り坂を少し登ったところにあります。東海道を先に進む前に、見ておきたいところを紹介します。
- 岡崎城のいま 時代とともに変化する徳川家康出生の城徳川家康が生まれた岡崎城。明治以降の解体や復元をへて、現在は新たな魅力を放っています。
- 築山御前と松平信康の首塚 東海道岡崎宿にある徳川家康の妻子の埋葬地徳川家康の正室築山殿と長男信康は、いずれも非業の死を遂げています。東海道岡崎宿にある彼らの首塚を訪ねました。
- 御油・赤坂の飯盛女 「べらぼう」の吉原だけではない遊女たちの光と影大河ドラマ「べらぼう」の影響で、吉原の遊女たちの光と影が取り上げられることが増えましたが、光と影はなにも吉原だけにあったわけではありません。東海道五十三次の宿場で働いている飯盛女も同様です。それについて、飯盛女が多かったという御油宿と赤坂宿を取り上げました。
- 宿場の本来の機能とは? 「べらぼう」田沼意次の「宿場が潰れるとどうなる?」の真意2025年大河ドラマ「べらぼう」で田沼意次の言った「宿場が潰れるとどうなる?」とはどういう意味でしょう? これには宿場本来の機能がかかわっています。
- 投げ込み寺 「べらぼう」で蔦屋重三郎も嘆いた遊女たちの死の実態は?大河ドラマ「べらぼう」に出てきた死んだ遊女たちの埋葬シーン。いきなりショッキングなシーンでした。はたして彼女たちの埋葬地「投げ込み寺」の実態とは?
- 東海道保土ケ谷宿 初めての難所を控えた宿場の江戸時代後期のデータと現在の姿江戸時代後期に編纂された「東海同宿村大概帳」から保土ケ谷宿のデータをまとめました。江戸時代に書かれた絵や現在の写真と見比べてください。
- 石工頭の東照宮 日本橋小田原町の地名由来・石工の善右衛門かつて日本橋に「本小田原町」という町がありました。また、築地にも「南小田原町」という町がありました。江戸にあった「小田原」の地名の由来を探ります。