2024.8.14
川崎の恩人と呼ばれている人が2人います。
1人は江戸時代初期の代官で多摩川岸に用水路を築いた小泉次太夫。
そしてもう1人は、江戸時代中期の本陣当主の田中休愚(丘隅)です。
田中休愚はあきる野の農民の子でした。
ところが行商で出入りしていた豪農田中家に見いだされ、親戚であった川崎宿本陣の田中兵庫家の婿養子となりました。
自身が当主となってからは川崎宿の問屋職も務め、宿場の財政再建に取り組みました。
多摩川の六郷の渡しの運営権を川崎宿で取得したり、宿泊客を増やすために飯盛女の許可を幕府から取り付けたのも田中休愚だといわれています。
川崎ではあまりに有名人ですので、こんな話まで生まれました。
8代将軍の徳川吉宗が川崎に狩りに行ったところ空腹を覚えました。
そこで突然田中本陣を訪れ、食事を所望しました。
いきなり将軍が現れた本陣では大慌て!
しかし休愚は落ち着いてご飯を炊かせると、三角形に結んだおむすびを3つ作って皿にならべ
「葵の御紋でございまする」
と言って吉宗に供したというのです。
もちろん吉宗は大喜び。
それ以来おむすびは三角形にむすばれるようになったというのです。
川崎は三角おむすび発祥の地!
ホントかウソかわからない話ですが、こういう話が川崎にはあることだけは覚えておいてください。
ところで、田中休愚は本陣当主隠居後に、川崎周辺の地理や庶民の生活の問題点を記した「民間省要」という書物を書き上げました。「有徳院殿御実紀」には、「民間省要」は休愚が師事していた奥儒者(将軍の教師)の成島道筑を介して吉宗が読んだ旨が記されています。
「民間省要」を読んだ吉宗ですが、おそらく頭を抱えてしまったことでしょう。
「民間省要」には当時の川崎周辺の庶民の生活がくわしく記してあるのですが、その中には吉宗の肝いりで開発が進んでいた武蔵野新田のことも書かれていました。
新田開発のために玉川上水から多くの分水が造られたのですが、そのために羽村の取水口からの取水量が増え、一方で下流の川崎では水量が減り、人々が生活用水や農業用水に困るほどになりました。
そればかりか多摩川が歩いて渡れるほどの水深となったために、川崎宿の財政再建の柱の1つだった渡し船の運航に支障をきたしたのです。
そのため「民間省要」には多摩川の水を「さして御用に立たざる新田へ近年引き取り」(たいして役にも立たない新田を造って水を引き)と書き、武蔵野新田開発事業を酷評したのです。
「庶民の生活のために一生懸命やったのに・・・」
吉宗がここまで思ったかどうかはわかりませんが、「民間省要」で厳しい指摘を受けた吉宗は大岡忠相に相談の上、享保8年(1723)に田中休愚を忠相配下の川除御普請御用に任じて川崎周辺をはじめとして各所の河川管理と治水を行わせることとしたのです。
田中休愚は小泉次太夫が築いてから100年以上が経過した用水路の修理や橋の架け替え、遠くは富士山の噴火で水深が浅くなった酒匂川の治水工事まで行いました。
それらの功績により、田中休愚は享保14年(1729)に将軍直轄領3万石を管理する支配勘定格として代官に抜擢されたのです。
ちなみに玉川上水は承応2年(1653)に玉川清右衛門と庄右衛門の兄弟によって開削されましたが、その管理責任者である玉川上水役も玉川兄弟とその子孫が務めていました。
ところが元文4年(1739)になり、玉川上水の分水から武蔵野新田に水を流しすぎて江戸の上水が不足した責任を問われ、子孫の清右衛門と庄右衛門は玉川上水役をクビになっています。
2人を罷免したのは東海道沿いにある浜松城主だった老中松平信祝。妙なところで玉川上水は東海道と縁があるのです。
(歩き旅応援舎代表 岡本永義)
【参照文献など】
「江戸上水道の歴史」伊藤好一著
「民間省要」
「かわさき区の宝物シート32-2 田中休愚」
webサイト「田中丘隅(川崎ゆかりの人物)」川崎市立図書館ホームページ
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月に1回、日帰りで歩く東海道五十三次の旅
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