2024.8.14
品川から三崎口まで、京急電鉄の本線が走っています。
東海道の歩き旅でも、品川駅から神奈川台までは、京急線に沿って歩きます。
この京急電鉄、日本で三番目の鉄道です。
どういう意味で三番目かというと、創業時から電車を走らせていた鉄道会社として日本で三番目に古い会社なのです。
でも、京急線のはじまりは現在の本線ではありません。
京急大師線からはじまったのです。
京急大師線は京急川崎駅から川崎大師駅を結ぶ鉄道です。
川崎大師にお参りするときに使ったことのある人も多いと思います。
鉄道ができる前は、江戸または東京から歩いて六郷の渡しを越え、そこから東海道から東に出る大師道を通って川崎大師に向かっていました。
明治5年に川崎に官営鉄道(現在のJR東海道本線)の駅ができてからは川崎駅から川崎大師へと、その参道である大師道を人力車が走って参拝客を運んでいました。
その川崎駅と川崎大師の間に、明治32年(1899)1月に大師電気鉄道が開通したのです。
当初から川崎駅と川崎大師を結ぶ予定でしたが、人力車夫たちの反対にあい、六郷橋のすぐ近くに始発駅を造ることとなりました。
これが最初の大師電気鉄道の川崎駅です。
場所は東海道の東側、現在六郷橋のたもとの明治天皇六郷渡御碑があるあたりでした。
3年後の明治35年には念願の官営鉄道の川崎駅前が始点となり、新たな駅ができあがりました。
このとき京浜電気鉄道(明治32年4月に改称)の「川崎駅」の名は新しくできた駅の方へ移り、それまでの六郷橋の近くにあった駅は六郷橋駅と名を変えました。
大正14年(1925)に六郷橋が掛け替えられ、橋の位置が少し東に移動したのにともなって、六郷橋駅は橋の西に移動しました。
そのときのプラットホームの跡が残っています。
六郷橋駅が廃止されたのは、昭和24年(1949)のこととなります。
少し話が遡ります。
現在の京急本線は、明治34年(1901)に六郷橋近くの川崎駅と大森の間が開通したのが始まりです。
造られた理由は、もっと川崎大師への参拝客を増やして収益を上げるため。
そのためには川崎駅からではなく、東京や横浜方面からもっとたくさんのお客を運んだ方がいいと考えたのです。
明治37年には現在の北品川駅まで延伸し、南へも翌年開通し神奈川駅まで通じました。
このようにして京急大師線よりも遅れて、京急電鉄の本線ができあがったのです。
東海道川崎宿の入口に、「大師電気鉄道六郷橋停留所跡」と書かれた看板があります。
その横に入口がある歩行者専用の跨線橋をわたると、大正14年に造られた六郷橋駅のプラットホームの跡が見えます。
電車としては京都市電、名古屋鉄道に次いで3番目に古く、関東では最初の電気鉄道である京急線、始まりの地は東海道川崎宿だったのです。
(歩き旅応援舎代表 岡本永義)
一緒に東海道を歩きませんか?
ガイドが案内する東海道の歩き旅イベントを開催中です。
日本橋~原宿の「日帰りで歩く東海道」、原宿~三条大橋を一泊二日で歩く「京都まで歩く東海道」、いずれも随時参加者募集中です。
途中から、あるいは一部だけでもご参加いただけます。
- 京都まであるく東海道 第8期 磐田~国府開催日
10月5~6日 磐田~高塚
11月2~3日 高塚~二川宿
12月7~8日 二川宿~国府
参加費 各回5500円 - 日帰りであるく東海道 第3期 大磯宿~国府津開催日時
10月26日9:00~17:00ころ
参加費 3500円 - 日帰りであるく東海道 第4期 国府津~元箱根開催日時
11月23日9:00~16:30ころ 国府津~小田原宿
12月28日9:00~16:30ころ 小田原宿~箱根湯本
1月25日9:00~16:30ころ 箱根湯本~元箱根
参加費 3500円
最新のブログ記事
- 東海道神奈川宿 武蔵南部の大都市だった宿場の江戸時代後期のデータと現在の姿江戸時代後期に編纂された「東海同宿村大概帳」から神奈川宿のデータをまとめました。江戸時代に書かれた絵や現在の写真と見比べてください。
- 戸塚宿・3つの道標 谷間の町である東海道戸塚宿にある道標のあれこれ戸塚宿にある3基の道標、これらを見ると当時の戸塚宿の交通の事情、道が集まる要衝だったことがわかります。でもそれ以外にもわかることがあるのです。
- 戸塚の競馬場 昭和前期に東海道戸塚宿にあった競馬場、跡形もなくなった今もその名残が戸塚宿には昭和の一時期に競馬場がありました。人気を博した競馬場でしたが戦争中に移転し工場となりました。現在も競馬場の名残があります。
- 戸塚宿で体を鍛えるのだ 戸塚宿の問屋場跡付近にあるトレーニングジム、そこで目にしたものは・・・?鉄道開通や再開発などによって大きく姿を変えた東海道戸塚宿。問屋場跡のすぐ近くにはトレーニングジムもできました。そのジムにはなかなか粋なはからいが。
- 鳥居の消えた町 東海道の名所であり町のシンボルでもあった草薙神社の鳥居、その撤去の跡地を訪れる東海道にあった草薙神社の一の鳥居が令和2年に撤去されました。参道入口の鳥居はなくなったものの、周辺をよく見渡してみると・・・
- メンチカツはでかい方がいい 東海道戸塚宿の新名物メンチカツ、その驚きの正体とは?!かつて東海道の不動坂付近で売られていたメンチカツ、それが現在は戸塚駅前のショッピングセンターで売られ、戸塚宿のあらたな名物となっています。
- 不動明王はどこへ行った? 東海道から分かれていた大山道と分かれ目にあった不動堂東海道の戸塚宿ちかくにある不動坂は、大山道との分かれ目にあった不動堂が名の由来です。道路の拡張などで、不動堂はここに移転しています。
- 護良親王の首 後醍醐天皇の皇子の首塚伝承がなぜか東海道沿いにある謎東海道の保土ケ谷宿と戸塚宿の間にある柏尾には、南北朝時代の武将・護良親王の首が埋葬された伝承があります。いったいなぜ?
- 新見家の人々 東海道の品濃一里塚の近くにある歴史に名を刻んだ一族の墓所品濃一里塚のすぐ近くに、江戸時代の旗本のお墓があります。品濃村の領主だった新見氏のものです。彼らは東海道以外のところにも名を刻んでいるのです。
- 品濃坂 標高差35メートル、保土ケ谷と戸塚の間にあった権太坂にも匹敵する難所の坂街道歩きは上ったら下るのが鉄則です。保土ケ谷宿から権太坂を上ったということは、戸塚宿に着く前にそれに匹敵するくらいの下り坂があるということです。