2024.8.17

今は川崎宿から切れ目なく住宅が建ち並んでいるためわかりにくくなりましたが、かつては川崎宿の京口からは人家もほとんどなく松並木がつづいていて、夫婦橋から鶴見川にかけての市場村に入ってようやく人家がありました。

市場村

そしてこの市場村の中には、一里塚が設けられていたのです。
この一里塚の片方が、今も現存しています。
日本橋側から見て、初めての現存する一里塚です。

東海道を京都方面に向かって歩いていると、左手に稲荷神社があります。
その鳥居の前に「市場村一里塚」と書かれた大きな石碑が建っています。

市場村の稲荷神社

でも、一里塚はどこ?

稲荷神社の社殿が少し高いところに建っています。
この少し高くなっているところ、土を盛ってあるところが一里塚なのです。

神社の下が一里塚

でも、一里塚ってこういうものでは?

品濃の一里塚(横浜市戸塚区)
来迎寺の一里塚(知立市)
笠寺の一里塚(名古屋市南区)

現在のこっている東海道の一里塚はわずかしかありません。
ほとんどは明治時代に「無用のもの」として壊されてしまいました。

市場村の一里塚には、左側の塚の上に江戸時代から稲荷神社がありました。
そしてこの稲荷神社が建っていたために、一里塚が壊されずに残ったというのです。

なお、向かいにある右側の一里塚は壊されてしまい、現在は住宅が建っています。

市場橋の親柱

一里塚の稲荷神社の敷地内には、「いちば〃し」とかかれた石があります。
これは一里塚から約70メートル先で、東海道を横切っていた川に架けられていた市場橋の親柱です。
近くにあるローソンの前の交差点が市場橋の跡地、ここで東海道と交差する道が川の跡です。


一里塚の近くには庚申塔もあります。
宝暦4年(1754)に建てられたもので、江戸時代の絵図にも載っているものです。

庚申塔

鶴見川まで一直線の道がただつづいているような場所ですが、よく見ると市場村近辺の過去を見てきたものがいくつもあるのです。

 

(歩き旅応援舎代表 岡本永義)

一緒に東海道を歩きませんか?

ガイドが案内する東海道の歩き旅イベントを開催中です。
日本橋~原宿の「日帰りで歩く東海道」、原宿~三条大橋を一泊二日で歩く「京都まで歩く東海道」、いずれも随時参加者募集中です。
途中から、あるいは一部だけでもご参加いただけます。

最新のブログ記事