2024.8.18
鶴見神社は江戸時代には杉山明神と呼ばれていました。
この門前町が、東海道の鶴見の立場だったのです。
ちょうどJRと京急線の鶴見駅前くらいの場所です。
立場で売られていたお菓子を再現して売るお店や、当時茶屋茶屋だった店が今も営業を続けている、それが現在の鶴見です。
江戸時代の鶴見で有名だった茶屋は信楽というお店です。
「江戸名所図会」にも「志からき茶店」として挿絵付きで紹介されています。
鶴見は江戸じゃないんですが、江戸のガイドブックである「江戸名所図会」は鎌倉くらいまで広い範囲を紹介しているのです。
信楽で評判だったものは竹の皮に包んだ梅干しでした。
上記の「江戸名所図会」には、梅干しにつけ込んだ生姜のことも書いてあります。
鶴見立場は「く」の字に道が曲がっていて、この曲がるところから杉山明神への参道が始まっていたのですが、信楽はこの参道の真っ正面に店がありました。
その場所には今や「信楽茶屋」という名のラーメン店があります。
→信楽茶屋ホームページ
鶴見川橋の記事にも書きましたが、鶴見川をはさんだ市場村と鶴見村では、米饅頭(よねまんじゅう)というお菓子を売っていました。
多いときで40軒ほどの店で売られていたそうです。
米の粉でできているから米饅頭、腹持ちがいいと旅人たちには評判だったそうです。
米饅頭で有名なお店としては亀屋、鶴屋、二六屋があったのですが、今はすべて途絶えてしまってます。
その代わり、求肥で作られたやわらかいお饅頭が、「よねまんじゅう」の名前を復活させて、和菓子店の清月さんで売られています。
この鶴見立場には、店先にサボテンを植えている茶屋がありました。
当時はサボテンはたいへん珍しかったそうです。
そこでその店は「覇王樹茶屋」と呼ばれるようになりました。
「覇王樹」と書いて「さぼてん」と読みます。
跡地に碑があります。
実は碑だけじゃないんです!
この覇王樹茶屋は昭和27年からパン屋さんになり、今も営業を続けているのです。
パン屋さんの名前は「エスプラン」ですが、今も覇王樹の「覇」の字をお店のマークとして使っています。
おいしいパン屋さんで、地元でも人気です。
お勧めは珈琲あんぱん。
閉店間近でなければ常時作ってお店に出てきますので、ほぼ売り切れの心配がないこともありがたいところです。
令和の世、鶴見立場は駅前の活気ある商店街となっています。
番外
すでに閉店してしまいましたが、ハイボールが安いお店がありました
(歩き旅応援舎代表 岡本永義)
一緒に東海道を歩きませんか?
ガイドが案内する東海道の歩き旅イベントを開催中です。
日本橋~原宿の「日帰りで歩く東海道」、原宿~三条大橋を一泊二日で歩く「京都まで歩く東海道」、いずれも随時参加者募集中です。
途中から、あるいは一部だけでもご参加いただけます。
- 京都まであるく東海道 第8期 磐田~国府開催日
10月5~6日 磐田~高塚
11月2~3日 高塚~二川宿
12月7~8日 二川宿~国府
参加費 各回5500円 - 日帰りであるく東海道 第3期 大磯宿~国府津開催日時
10月26日9:00~17:00ころ
参加費 3500円 - 日帰りであるく東海道 第4期 国府津~元箱根開催日時
11月23日9:00~16:30ころ 国府津~小田原宿
12月28日9:00~16:30ころ 小田原宿~箱根湯本
1月25日9:00~16:30ころ 箱根湯本~元箱根
参加費 3500円
最新のブログ記事
- 東海道神奈川宿 武蔵南部の大都市だった宿場の江戸時代後期のデータと現在の姿江戸時代後期に編纂された「東海同宿村大概帳」から神奈川宿のデータをまとめました。江戸時代に書かれた絵や現在の写真と見比べてください。
- 戸塚宿・3つの道標 谷間の町である東海道戸塚宿にある道標のあれこれ戸塚宿にある3基の道標、これらを見ると当時の戸塚宿の交通の事情、道が集まる要衝だったことがわかります。でもそれ以外にもわかることがあるのです。
- 戸塚の競馬場 昭和前期に東海道戸塚宿にあった競馬場、跡形もなくなった今もその名残が戸塚宿には昭和の一時期に競馬場がありました。人気を博した競馬場でしたが戦争中に移転し工場となりました。現在も競馬場の名残があります。
- 戸塚宿で体を鍛えるのだ 戸塚宿の問屋場跡付近にあるトレーニングジム、そこで目にしたものは・・・?鉄道開通や再開発などによって大きく姿を変えた東海道戸塚宿。問屋場跡のすぐ近くにはトレーニングジムもできました。そのジムにはなかなか粋なはからいが。
- 鳥居の消えた町 東海道の名所であり町のシンボルでもあった草薙神社の鳥居、その撤去の跡地を訪れる東海道にあった草薙神社の一の鳥居が令和2年に撤去されました。参道入口の鳥居はなくなったものの、周辺をよく見渡してみると・・・
- メンチカツはでかい方がいい 東海道戸塚宿の新名物メンチカツ、その驚きの正体とは?!かつて東海道の不動坂付近で売られていたメンチカツ、それが現在は戸塚駅前のショッピングセンターで売られ、戸塚宿のあらたな名物となっています。
- 不動明王はどこへ行った? 東海道から分かれていた大山道と分かれ目にあった不動堂東海道の戸塚宿ちかくにある不動坂は、大山道との分かれ目にあった不動堂が名の由来です。道路の拡張などで、不動堂はここに移転しています。
- 護良親王の首 後醍醐天皇の皇子の首塚伝承がなぜか東海道沿いにある謎東海道の保土ケ谷宿と戸塚宿の間にある柏尾には、南北朝時代の武将・護良親王の首が埋葬された伝承があります。いったいなぜ?
- 新見家の人々 東海道の品濃一里塚の近くにある歴史に名を刻んだ一族の墓所品濃一里塚のすぐ近くに、江戸時代の旗本のお墓があります。品濃村の領主だった新見氏のものです。彼らは東海道以外のところにも名を刻んでいるのです。
- 品濃坂 標高差35メートル、保土ケ谷と戸塚の間にあった権太坂にも匹敵する難所の坂街道歩きは上ったら下るのが鉄則です。保土ケ谷宿から権太坂を上ったということは、戸塚宿に着く前にそれに匹敵するくらいの下り坂があるということです。