2024.8.20

東海道は横浜市鶴見区の生麦

東海道の立場だった生麦

鶴見川の河口部にあり、漁村であり立場でもあった町です。
意味するところをを解きほぐせたら面白そうな、子育地蔵や小石様、白熊神社などの伝説や言い伝えがたくさん残る地です。

この生麦に道念稲荷神社があります。

道念稲荷神社

ここは神社なのに鳥居の両側に石仏があるなど、江戸時代までの神仏習合の影響が色濃く残っています。

道念稲荷神社の鳥居前の石仏

この神社で6月第1日曜日に開催される変わったお祭りがあります。
「蛇も蚊も」です。

「蛇も蚊も」で使う藁の蛇

藁で作った大きな蛇が生麦の町を練り歩き、「蛇も蚊もきたけ、めぐみの雨け」と叫びながら各家々に頭を突っ込んでいくという奇祭です。
横浜市の無形民俗文化財に指定されています。

この祭りの起源には次のような話が伝わっています。

むかし夫婦がいました。
仲の良い夫婦でしたが、妻は病気で死んでしまいました。
妻が死ぬ間際、夫婦は手を握りあい、「私を忘れないでくださいね。ほかの女と結婚しないでくださいね」「もちろんだよ」と永遠の愛を誓い合いました。

ところが妻が死ぬと、男は若い女を後妻として娶ってしまいました。
ある日、男と若い妻が一緒に夜道を歩いて帰る途中、沼の縁を通ったところ、沼から大蛇が現れて、若い妻を沼に引きずり込んでしまいました。
そして男を追い、男が逃げ込んだ家の周囲を朝までぐるぐると回り続けました。

朝になりようやく大蛇が去ったので、男が僧侶にこれを相談すると、「大蛇は先妻の化身である。藁で蛇を作り、家の周りにおけば蛇を退けることができる」と教えられました。

その夜も大蛇は男の家に現れましたが、藁の蛇を見ると恨めしそうに帰って行きました。
このことがあってから、村人たちは厄除けに藁の蛇を作るようになりました。
これが「蛇も蚊も」の始まりです。

ところで、神社では一般的に夏と冬に藁で大きな輪を作り、これをくぐってお参りするという茅の輪の行事があります。
また、同じように藁で作った蛇や人形を町の入口に置き、使い終わると川や海に流すという習慣があちこちにあります。

いずれも「厄除け」という意味合いで共通しています。
この場合の「厄」とは疫病のこと、多くの場合、元来は天然痘を意味していました。
「蛇も蚊も」も疫病除けのために催す祭りだといわれています。

東海道沿いでは浜川神社が疫病除けの大元となる神社だった話は以前の記事で書きました。
→浜川神社・7歳までは神のうち

浜川神社

子供の死亡率が高く、全人口の平均的な死亡年齢を著しく下げていた天然痘に対して、江戸時代後期に種痘が始まるまで、人々は神に祈るか厄除けの行事を行うしか対策がありませんでした。

藁も最初は茅や菖蒲など、先が尖っていて破魔の剣に見立てた歯が使われていたそうです。
「蛇も蚊も」の蛇も、破魔、つまりは厄除け・疫病除けの意味合いで始まったのでしょう。
伝説も男の移り気を先妻が恨むような話になっていますが、本来は先妻も後妻も天然痘で失った男の不幸がもとになった伝説の可能性もあります。

蛇をつくるために乾燥中の藁

今は焼却の上ゴミとして回収しているそうですが、かつては「蛇も蚊も」の蛇も川に流していたそうです。
そんなところからも、疫病除けの多の風習との共通点がうかがえます。

原の神明社

ところで、この「蛇も蚊も」は生麦の隣町の原にある神明社でも行われています。
今は鶴見神社から1人の神職がやってきて2つの「蛇も蚊も」を担当するため、道念稲荷神社は午前中、原神明社は同じ日の午後に催されています。

そのためか、公園となっている原神明社の境内には、大きなヘビの遊具があります。

原の神明社のヘビの遊具

 

(歩き旅応援舎代表 岡本永義)

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