2024.8.28
以前に東海道神奈川宿に伝わる浦島太郎の伝説について書きました。
→神奈川宿浦島太郎伝説
一般的に伝わる「竜宮城から帰ってきた浦島太郎は、玉手箱を開けて老人になった」というものとは異なる物語が、神奈川宿には伝わっていました。
これらの物語は江戸時代に編纂された「金川砂子」や「江戸名所図会」に載っているものです。
「金川砂子」は「武相叢書」として刊行されたものを、国立国会図書館デジタルコレクションで見ることができます。
「江戸名所図会」は江戸時代に発行された江戸のガイドブックですが、カバー範囲は広く、東海道も鎌倉の付近まで載っています。これも国立国会図書館デジタルコレクションで見られるほか、活字に直したものも出版されています。
これらの書物は挿絵も豊富に使われています。
それらの中には、浦島太郎伝説に関わるものが何枚もあります。
今回はそれらの挿絵に描かれたものを探します。
観福寿寺
江戸時代に「浦島寺」と呼ばれていた観福寿寺(観福寺)は、神奈川宿の隣村である子安村で東海道沿いの山にありました。
「金川砂子」と「江戸名所図会」には観福寿寺の挿絵が載っています。
残念ながら観福寿寺は明治のはじめに火事で焼けてしまい、その跡地は現在蓮法寺になっています。
蓮法寺には観福寿寺にあった浦島太郎関連の石造物のうち、焼け残ったものが残されています。
浦島観音堂
上記の「金川砂子」「江戸名所図会」に載っている観福寿寺の絵をよく見ると、このようなものが描かれています。
浦島太郎は竜宮城から観音像を持ち帰ったと伝えられています。
そして太郎は、それを安置するために観音堂を建てたのだとか。
それが浦島観音堂で、観福寿寺にあったそうです。
「金川砂子」に載っている浦島太郎の物語では、太郎は観音堂を建てた後、竜宮に戻るという結末を迎えるのです。
先に書いたとおり、観福寿寺は明治のはじめころに火事に遭いました。
そのときに浦島観音堂も焼けてしまったと思われます。
観音堂に安置されていた観音像だけは焼け残ったらしく、現在は神奈川宿の慶運寺に移されて、現在は昭和10年(1935)に建てられた浦島観音堂に安置されています。
この慶運寺の観音堂の扉にはのぞき穴があり、内部の観音像を見ることができます。
浦島太郎父子の墓
さらに、観福寿寺の絵には、観音堂のそばに多層塔が2つ描かれています。
この2つの多層塔はいずれも「浦島墓」と書かれていますが、「江戸名所図会」では観音堂の前、「金川砂子」では観音堂の後方の高台の上に描かれています。本当はどちらにあったのか判断材料がありませんが、これらの多層塔が浦島太郎父子の墓だといわれています。
「金川砂子」には、この多層塔だけの絵も載っています。
現在は蓮法寺の石造物群の中にあります。
「金川砂子」によると、浦島太郎は竜宮に戻る前に父の墓と観音堂を建てています。
そこには書かれていませんが、この多層塔は父と太郎本人であり、生前に自分で建てた墓だと神奈川では伝わり、「齢塚」と呼ばれていたそうです。
浦島塚
「金川砂子」「江戸名所図会」には、観福寿寺とは東海道を隔てた海沿いに西蓮寺という寺が描かれています。
現在、西蓮寺というお寺はありませんが、少なくとも昭和の初期ころまでは海沿いにあったようです。
この西蓮寺にも、浦島太郎の墓のようなものが描かれています。
「浦島塚」と書かれた石塔です。
「金川砂子」には、この浦島塚だけの絵も載っています。
この石塔は、よく似た形のものが蓮法寺にありました。
蓮法寺の石造物群は柵があって近くに寄れないので、石塔に書かれた文字が読めないのが残念ですが、もしかしたらこれから? というところです。
「浦島寺」と「廟所」の石塔
「金川砂子」に掲載されている観福寿寺の絵には、東海道から始まる参道入口に石塔が描かれています。
ここには3基描かれていますが、このうちの2基らしきものが慶運寺にあります。
(廟所)
それぞれ石塔に書いてある内容は
「竜宮伝来 浦島観世音 浦島寺」
「父浦島大夫 子浦島太良 廟所 齢塚 當山在」
いずれもお寺の入口に建てるべきものだとわかります。
「金川砂子」に載っている石塔の絵はかなり大ざっぱですが、そのうちの2基はおそらくこれでしょう。
もう1基については、なんと書いてあったのか、現在どこにあるのか、ともにわかりません。
浦島地蔵
「江戸名所図会」の挿絵には、観音堂の周囲にたくさんの石仏らしきものが描かれています。
現在、亀住町公民館の前にある「浦島地蔵」と呼ばれている石地蔵は、観福寿寺が火災に遭った後、焼け残った石地蔵を慶運寺に運ぶ途中でここに置かれたものと伝わっています。
たぶん、上の絵に描かれた石仏群のうちのどれかと思われます。
でも絵がかなりおおざっぱなので、あくまで感想レベルの話です。
(歩き旅応援舎代表 岡本永義)
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