2024.9.1
東海道保土ケ谷宿の入口にある橘樹神社。
「橘」と「樹」の二文字で「たちばな」と読みます。
源頼朝が建てたと伝わる神社ですが、戦乱や火災で文書が滅失して詳しいところはわかりません。
→橘樹神社
この神社の境内にはたくさんの石造物がありますが、これらの石造物をひとつひとつ見ていくといろんな情報が読み取れて、「宝の山」ってくらい面白いのです。
全部については書き切れないので、4項目をピックアップします。
狛犬
この狛犬の台座には「嘉永5年」と刻まれていて、これが西暦1852年に奉納されたものだと推測できます。
「願主 江戸神田鎌倉横町 伊丹屋善助」と書いてあります。
なんと江戸の商人が奉納したものです。
伊丹屋善助については国立国会図書館が編纂した「諸問屋名前帳」に味噌問屋として記載されています。
ちなみに伊丹屋のあった神田鎌倉横町は正確には鎌倉横町南側代地といって、現在の神田駅と日本橋側の間くらいにあった町です。
台石には「世話人 帷子川岸 山形屋兵左ヱ門」とも書いてあります。
山形屋兵左ヱ門は「横浜市文化財調査報告書第6輯」によると保土ケ谷で観音丸という船を使っていた幕府御用の回漕問屋だったそうです。
江戸の味噌問屋の伊丹屋は、保土ケ谷宿と何らかの縁があって、おそらく取引先だった回漕問屋の山形屋を通じて橘樹神社に狛犬を奉納した可能性があります。
神田不動尊
かなりきれいに形が残っているお不動様です。
台座に「文化8年」と書いてあります。
西暦1811年です。
これを奉納した人、世話人として「餉屋善吉 山下?新右ヱ門」などの名前が書いてあります。(?は読み取れない文字です)
餉は乾飯のことですので、乾飯(水をかけるとご飯になったらしいです。今のレトルト食品のようなもの)を商っていた人たちが奉納したのでしょう。
残念ながら、どこに店があったのかなど詳しいことはわかりません。
たぶん保土ケ谷宿の人たちだと思われますが、正確なことはわかりません。
一番下の台座に「神田不動」と書いてありますが、狛犬に書かれた江戸の神田とは関係ないようです。
江戸の神田の地名由来も神饌田(神様にお供えする米を栽培する田んぼ)という説がありますが、不動尊の台座に刻まれた「神田」も橘樹神社の神饌田だったと思われる地名の神田のことなのだそうです。
面白いのは「神田不動」の文字には、一度表面を削ってからあらたに書いた形跡があり、その前に書かれていた「道」と「余」の文字が残っていることです。
「神田不動」の前に書かれていた文字は「大山近道 大山護摩供養塔 是より七里余」だったそうです。
「近道」の「道」と「七里余」の「余」が削り残された文字です。
庚申塔
境内の祠の中に庚申塔が3基あります。
もともとは橘樹神社の南を通っている水道道に置いてあったことが「横浜市文化財調査報告書第6輯」に書いてあります。
水道道は横浜市の西谷浄水場から関内方面に水を引く道ですが、西谷浄水場ができたのが大正4年(1915)ですから、それ以前はさらに別の場所にあった可能性があります。
なお、水道道から橘樹神社の境内に移されて時期ですが、文字がかすれて読み取りづらい説明板が境内にあります。
それによるとだいたい昭和40~50年代のことと思われます。
橘樹神社の庚申塔3基を左から順に並べましたが、どれも青面金剛が刻まれた標準的なデザインの庚申塔です。
庚申塔に青面金剛が刻まれるようになったのは西暦1700年ころからといわれていますが、寛文9年と天和2年はいずれも1600年代ですので、青面金剛が刻まれた庚申塔としてはかなり初期のもので、珍しいものといえます。
とくに真ん中に置かれている、一番古い寛文9年の庚申塔ですが、青面金剛は普通は焔髪とか怒髪といわれる逆立った髪型をしていますが、この庚申塔の青面金剛は丸坊主です。
錫杖のような長い棒も持っていますし、地蔵菩薩像の影響を強く受けているように思われます。
石盥
この石盥は神前で手を清める手水鉢だったとも思われますが、「延宝6年 江戸水谷町柏木氏寄進」と刻まれています。
また江戸です。
延宝6年は西暦1678年です。
この水谷町の柏木氏も、誰なのかわかりませんでした。
水谷町は今の銀座1丁目の一部です。
高速道路の東銀座の出口があるあたりです。
お風呂屋さんがあります。
このお風呂屋さんの盥はプラスチック製でした。
つまり橘樹神社の石盥とお風呂屋さんは、なんの関係もありません。
今回は江戸時代のものを中心に橘樹神社の石造物を見てきました。
この他にも昭和初期の石碑などもあり、ここには関東大震災後の社殿再建について刻まれています。
神社やお寺の石造物、よく見るといろんな発見があって面白いです。
(歩き旅応援舎代表 岡本永義)
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