2024.9.2

庚申信仰とは、日本の仏教と土俗信仰をもとに、中国の道教の影響を受けて、できあがったと思われる民間信仰です。

簡単にいうと、人の体の中には3匹の虫(三尸の虫)が住んでいて、60日に1回めぐってくる庚申(かのえさる)の日の夜に、その人が寝ている間に体から抜け出して天帝のところへ行き、その人が日頃している悪事について言いつけるいうのです。
天帝はそれを聞いて、その人の寿命を縮めてしまうのだとか。

だから悪いことはしないことにしましょう、とは人々は考えません。

三尸の虫が体から抜け出さないように、庚申の日の夜は寝ないで徹夜をすることにしたのです。
それでも独りで起きているとどうしても眠くなるので、大勢で集まって酒を飲みながら夜を明かすことにしました。

この集まりのことを庚申講といいます。
庚申講を10回とか3年間の18回とか、切れの良い回数催したら建てるのが庚申塔という石塔です。

庚申塔 東海道戸塚宿近くにて

川崎から箱根にかけての神奈川県内は庚申信仰が盛んでした。
保土ケ谷宿にも庚申塔がたくさんあります。

先に記事にした橘樹神社にも庚申塔がありましたし
→橘樹神社の石造物

橘樹神社の庚申塔

金沢横町を曲がった先にも山のように庚申塔があります。
三猿が彫られていたり、「庚申供養」と書いてあるのが目印です。

金沢横町先の庚申塔

保土ケ谷宿の西側、上方見附を出てから権太坂の入口にかけても庚申塔があったことが、江戸時代に作られた絵図に載っています。
場所はこの3か所。それぞれの場所に祠の絵と「庚申」の文字が書いてあります。
(絵図そのものは諸般の事情によりここに載せることができません)

保土ケ谷宿の西にある3か所の庚申塔

これら3か所を訪ねてみましょう。

1か所目
行ってみたらけっこう大きな祠がありました。
帝釈天堂と書いてあります。

保土ケ谷の帝釈天堂

帝釈天堂と書いてあり、鳥居もありますが、管理しているのは樹源寺という日蓮宗のお寺です。

樹源寺

お堂をのぞいてみると、中にあるのは庚申塔です。

帝釈天道内の庚申塔

2か所目
ここは小さな稲荷神社の参道に、鳥居と小さな祠がありました。
祠の下に庚申塔があります。

稲荷神社参道の庚申塔
ちょっと摩耗が激しいです

3か所目
こちらは歩道のすぐ脇に祠があり、堅牢地神塔と並んで庚申塔が置かれていました。

歩道脇の庚申塔と堅牢地神塔
庚申塔

この庚申塔は、橘樹神社の庚申塔の1つと同じ構図で図柄が彫られており、作られた年も1年違いであることから、同じ石工が彫ったという説もあります。

同じ石工が作った?庚申塔

保土ケ谷宿の京都側では3か所の庚申塔が、江戸時代の絵図そのまま同じ場所に今も残っています。

  

(歩き旅応援舎代表 岡本永義)

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