2024.9.3

保土ケ谷宿を出てしばらく歩くと、急激な坂道にさしかかります。
権太坂です。

箱根駅伝の難所として知られる権太坂ですが、駅伝の権太坂は後から造られた国道の坂道、江戸時代以来の東海道の権太坂とはちがいます。

保土ケ谷宿はその名のとおり谷間にある宿場です。
次の戸塚宿も谷間にある宿場ですから、宿場から宿場へとむかうには坂と高台を越えなくてはいけません。

その最初の登り口が権太坂なのです。

権太坂

今でも傾斜が急な権太坂ですが、以前はもっと急だったのかもしれません。
浮世絵にもかなりの急坂として描かれています。

「東海道名所風景 権太坂」 茶屋の背景に急坂が描いてある
国立国会図書館デジタルコレクションより

権太坂の途中にある「権太坂改修記念碑」は、昭和30年(1955)ころに権太坂の改修が行われたときのもの。
それ以前はもっと上るのが大変だったと聞いたことがあります。

旧東海道権太坂改修記念碑

急坂である上に、江戸時代には周囲に人家も少なかった権太坂。
ですから行き倒れになる人も多かったようです。
現在坂の途中に光陵高校がありますが、この学校周辺で宅地開発をしたところ、多くの人骨が発見されたそうです。

東光寺の無量光仏碑

それらの骨は戸塚区平戸にある東光寺に埋葬されました。
埋葬地には供養のために建てられた「無量光仏碑」があります。
一方で権太坂にも供養碑が建てられました。
権太坂からは少し離れていますが、権太坂を登り切ったところにある境木小学校・中学校前の道を左へ進んだところに碑があります。

投込塚跡の碑

投込塚というのは、旅先で死んだ人たちを葬った場所のことです。
江戸時代の道中手形には、「旅先で死んだときには現地の作法で埋葬してほしい。連絡は不要です」という内容のことがよく書いてあります。
昔の旅行は、客死すると家族にも知らされずに埋葬されることがあったようです。

ところで、権太坂は万治2年(1659)に開かれたといわれています。
「新編武蔵風土記稿」の記述や坂の上にある境木地蔵尊に刻まれた文言から、この年に開かれたと考えられているのです。
それ以前の東海道がどこを通っていたのかについては判明していません。

権太坂の碑

権太坂というのは面白い名称ですが、その坂の名の由来については2つの説があります。1つはよく知られた逸話ですが、旅人が坂の名を尋ねたところ、聞かれた老農夫は耳が悪く、自分の名を聞かれたと思い「権太」と答えたというもの。
2つめは、幕命によって新たに坂道を開くことになり、この地を治める旗本の代官であった萩原家に命じられて権左衛門という者が工事の指揮をとったので「権左坂」、それが転じて「権太坂」になったというのです。
1つめの説は面白い話なので人に話したくなりますが、2つの話を比べたたら信憑性のある話は2番目のように思われます。

代官だった萩原家は今でも坂の上の境木に存続しており、江戸時代に建てられた門が残っています。

萩原家の門

この権太坂を上ると境木、ここが武蔵国と相模国の境目です。

  

(歩き旅応援舎代表 岡本永義)

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