2024.9.6
東海道を歩いて保土ケ谷宿から西へと進むと、次の戸塚宿が近くなったところに不動坂というゆるい坂道があります。
坂の名前は近くにあった不動堂です。
大山の阿夫利神社へと向かう大山道の1つが東海道から分かれていて、その道の分かれ目に不動堂があったのです。
東海道から分かれる大山道は、今も残っているのですが、不動堂があった場所は国道1号になってしまい、御堂はなくなってしまいました。
それでは不動堂はどうなったのかというと、大山道沿いに移転しています。
昭和20年ころ大山道と東海道の間に国道1号が開通しました。
その当時の地図にはまだ東海道から大山道が分かれる場所に不動堂を意味するお寺の地図記号(卍)が描かれているのですが、国道1号バイパス(戸塚道路・通称ワンマン道路)が開通した後に発行された地図からは、お寺の地図記号が消えています。
このころ不動堂が移転したと思われます。
大山道の分かれ目にありましたので、多くの道標も設置されていました。
それらの道標と一緒に、東海道から大山道が分かれて40メートルくらいのところに移転したのです。
ガラスが曇っているので内部がよく見えないのですが、「大山道」と書かれた道標の上に、半跏思惟像の不動明王の石造が置かれています。
御堂の周囲には道標のほか、庚申塔や常夜灯なども置かれています。
不思議なのは常夜灯を寄進したのが千葉県の松戸の人たちだということです。
松戸といえば水戸街道の宿場です。
松戸にも大山を信仰する大山講があったということなのでしょうが、どういう経緯でここに常夜灯を寄進したのでしょうか?
少し謎が残りました。
大山道が行き着く先の大山と阿夫利神社は伊勢原市にあります。
東海道は大山道の東から南にかけて通っていますので、この先もいくつもの大山道が分かれています。
(歩き旅応援舎代表 岡本永義)
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