2024.9.6
「鎌倉ハム」というブランドのハムの製造会社はいくつかありますが、これらは横浜市戸塚区の東海道沿い、具体的には不動坂付近の柏尾が発祥とされています。
柏尾にあったイギリス人が経営するホテルで出されていた自家製のハムを、地元の人たちが製法を学んで作り始めたのが始まりとか。
「鎌倉」を冠するのは柏尾の辺りは昔の鎌倉郡だからです。
こうしてハムの製造を始めた人たちの中に、柏尾の有力者であった斎藤家がありました。斎藤家は大きな家だったため、同じ一族の中にはハム以外の事業をしていた人もいました。そんな中にはお肉屋さんもあったのです。
そしてそのお肉屋さんで売っていたメンチカツが、いまや戸塚宿の名物となっています。
私は東海道を歩くようになってから30年弱になりますが、その最初のころは不動坂にお肉屋さんのお店があり、そこでメンチカツを売っていた記憶です。
現在は戸塚駅周辺の再開発でできたショッピングセンター「トツカーナモール」で、メンチカツは売られています。
戸塚駅前を通る国道1号線が戸塚宿だったところです。
そこにトツカーナモールはあります。
その地下1階にあるお店の名前は「肉のさいとう」、メンチカツ専門店ではなくお肉屋さんです。
お肉売り場とコロッケやメンチカツなどカツ・フライなどの売り場が並んでいます。
名物となったメンチカツの特徴は、
・衣サクサク
・肉汁ジュワ~
・とにかくでかい!
ことです。
その戸塚の名物となったメンチカツ、その名も「ジャンボメンチカツ」がこちら。
ちょっと写真がデフォルメされていますが、普通のメンチカツと比べた写真はこちら。
比較対象は近所のスーパーで買ってきたメンチカツ(約50グラム)です。
普通のメンチカツの3~4倍くらいありそうなのですが、火が中心までちゃんと通っていて、そのためにお肉のうまみが凝縮されていて、しかも冷めても再加熱しても衣がサクサクでとにかくおいしいのです。
小柄な女性が「え~、むり~」と言いながら、食べ始めたら1個まるごとペロリと平らげてしまうほどおいしいのです。
戸塚に行ったら、ジャンボメンチカツだけは是非とも買わなくてはいけません。
(歩き旅応援舎代表 岡本永義)
東海道歩き旅イベント 参加者募集中
とにかく内容が濃く詳しい、それなのに参加費がリーズナブル。
それが歩き旅応援舎の東海道歩き旅イベントです。
「日帰りで歩く東海道」 日本橋~原宿を日帰りで歩きます。全15回
「京都まで歩く東海道」 原宿~三条大橋を一泊二日で歩きます。全18回
それぞれ月に1回ずつ歩いて、東京の日本橋から京都の三条大橋をめざすイベントです。
以下のイベントが参加者募集中です。途中からでもご参加いただけます。
このブログには書いていないことが、実際の東海道にはいっぱいあります。
もっとくわしくお話をしながらガイドがご案内いたします。
一緒に東海道を歩きませんか?
人生の宝となるような経験、そのためのお手伝いをいたします。
- 京都まであるく東海道 第8期 磐田~国府開催日
10月5~6日 磐田~高塚(受付終了)
11月2~3日 高塚~二川宿
12月7~8日 二川宿~国府
参加費 各回5500円 - 日帰りであるく東海道 第3期 大磯宿~国府津開催日時
10月26日9:00~17:00ころ
参加費 3500円 - 日帰りであるく東海道 第4期 国府津~元箱根開催日時
11月23日9:00~16:30ころ 国府津~小田原宿
12月28日9:00~16:30ころ 小田原宿~箱根湯本
1月25日9:00~16:30ころ 箱根湯本~元箱根
参加費 3500円
※当面の間は日本橋から新たに出発する予定はありません。上記のイベントへのご参加をお勧めします。
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