2024.9.13

現在の神奈川県は、江戸時代には庚申(こうしん)信仰が盛んなところでした。
庚申信仰とは、簡単に言えば庚申(かのえさる)の日の夜に徹夜をして過ごす習慣です。

昔の人は体の中に「三尸の虫」と呼ばれる3匹の虫が住んでいて、庚申の日の夜の眠っている間に体を抜け出し、天帝にその人が日頃している悪さについて告げ口をすると信じていました。

だから悪いことをするのはやめよう、とはならないんですね。
人々は三尸の虫による告げ口を防ぐには、庚申の日の夜に眠らなければいいと考えたのです。
こうして、庚申の日の夜には皆で集まって徹夜する習慣ができました。
この徹夜の会を庚申講といいます。

庚申講も初期のころはお経などを唱えて過ごしたそうです。
ところが大の大人が夜中に大勢集まるとなにが始まるか?
おわかりですね。
やがて庚申講は近所の人たちが集まって宴会をする日になりました。
眠ってはいけないのに、眠くなるお酒を飲むという、まるでロシアンルーレットの会のようになったのです。

江戸時代にはテレビもインターネットもありません。
今と違って娯楽が少ない時代でした。
そこでおよそ2ヶ月に1回、60日ごとに行われる庚申講は、数少ない娯楽の場として農村部を中心に広まっていったと考えられます。

この庚申講を3年間18回、あるいは10回程度のきりの良い回数を行った記念に建てるのが庚申塔です。

そんなわけで、東海道を歩いていてもたくさんの庚申塔に出会います。

保土ケ谷宿の庚申塔
藤沢の庚申塔
小田原の庚申塔

戸塚宿の京側の出口を出ると上り坂になります。大坂と呼ばれています。
この坂の途中にも、たくさんの庚申塔があります。

大坂の庚申塔群

庚申塔は、江戸時代前期には「庚申供養」などの文字だけのもの、これに加えて三猿だけのものが多かったのですが、江戸時代中期以降は青面金剛と呼ばれる神か仏かわからない像を彫るものが多くなりました.

以上を基本として、庚申塔はバリエーションが非常に多いのです。
造った人たちがオリジナリティを競ってマウントを取り合っていたんじゃないかと思われるほど、バリエーションに富んでいるのです。

大坂の庚申塔群も、その観点から見ると面白いです。

 

文字だけの庚申塔

 

文字と「見ざる聞かざる言わざる」の三猿だけのもの

 

青面金剛が彫ってあるもの

 

青面金剛が天邪鬼を踏んでいるもの

 

青面金剛がショケラと呼ばれる女神像をつかんでいるもの

 

青面金剛が山伏みたいな服を着ているもの

 

日と月が刻まれたもの

 

鶏が彫られたもの

 

三猿が向かい合わせのもの

 

三猿が外を向いているもの

 

青面金剛の髪が3つに分かれて逆立っているもの

 

青面金剛の髪がう●こ・・・じゃなくて髪にヘビが巻き付いているもの

 

「道端に石塔がいっぱいあるな~」で通り過ぎてしまいがちですが、よく見るといろいろと面白い庚申塔。
大坂でもぜひ庚申塔たちをじっくりと見ていってください。 

 

(歩き旅応援舎代表 岡本永義)

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