2024.9.13
東海道の戸塚宿の東にある不動坂の交差点から、同宿の西にある大坂の上まで通じている道路があります。
国道1号バイパス、かつて有料だった戸塚道路、通称「ワンマン道路」です。
この道路を造ることを命じたのは、戦後に総理大臣としてGHQと渡り合った吉田茂だといわれています。
戦前の主要な政治家が失脚したり処刑されたりした日本において、強い指導力を発揮して戦後の日本を牽引したことから、吉田茂は「ワンマン宰相」と呼ばれていました。
それゆえに道路も「ワンマン道路」なのです。
吉田茂は大磯に住んでいました。
この住居は吉田の死後は西武の所有となっていましたが、火事で焼けたことが契機となって現在は大磯氏が所有し、城山公園の一部として公開しています。
国会議事堂も内閣府もGHQ本部も東京の千代田区にありますから、吉田茂はほぼ毎日大磯から自動車で出勤するわけです。
通る道はもともとは東海道からできあがった国道1号です。
ところが東京に行くのに障害となったものがあります。
それが戸塚駅の横にある「戸塚大踏切」。開かずの踏切として知られ、国道1号の渋滞源となっていました。
そこで吉田茂は踏切を通らずに東京へと行ける道路の建設を命じ、「ワンマン道路」ができあがったというのです。
下の地図には2本国道1号が描いてありますが、右が東海道の国道1号、左が「ワンマン道路」です。
吉田茂は気の短いところもある人物だったらしいですので、あり得そうな話ですが、確証は取れていません。
吉田茂が言い出さなくても、もともと渋滞対策として道路を造る予定があったことも考えられます。
アンダーパスと大踏切デッキが完成したことで、戸塚の大踏切は廃止され、「ワンマン道路」建設のきっかけとなった渋滞は解消されました。
→戸塚宿・交通の変遷
戸塚宿にある和菓子店、吉田屋本店さんでは、道路にちなんだ自動車のタイヤの形をした最中「ワンマン道最中」を販売しています。
「ワンマン道最中」とともに吉田屋本店に売られている「とつかとうふ」、ともにおいしいです。
(歩き旅応援舎代表 岡本永義)
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開催日
2025年
4月5~6日 桑名宿~四日市宿
5月17~18日 四日市宿~亀山宿
6月7~8日 亀山宿~土山宿
参加費 各回6500円 - 日帰りであるく東海道 第1期 日本橋~生麦月に1回日帰りで歩く東海道五十三次の旅
開催日時
2025年
4月13日 日本橋~品川宿
5月11日 品川宿~蒲田
6月15日 蒲田~生麦
参加費 各回3500円 - 日帰りであるく東海道 第2期 生麦~藤沢宿月に1回日帰りで歩く東海道五十三次の旅
開催日時
2025年
4月19日 生麦~保土ケ谷宿
5月24日 保土ケ谷宿~戸塚宿
6月21日 戸塚宿~藤沢宿
参加費 各回3500円 - 日帰りであるく東海道 第5期 元箱根~原宿月に1回日帰りで歩く東海道五十三次の旅
開催日時
2025年
2月22日 元箱根~山中城
3月22日 山中城~三島宿
4月26日 三島宿~原宿
参加費 各回3500円 - 京都まであるく東海道 第6期 原宿~岡部宿月に1回、一泊二日で歩く東海道五十三次の旅
開催日
2025年
10月25~26日 原宿~蒲原宿
11月22~23日 蒲原宿~東静岡
12月27~28日 東静岡~岡部宿
参加費 各回5000円
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