2024.9.15

戸塚宿の京側の出口を出るところにある上り坂は、大坂と呼ばれています。

大坂

戸塚宿と藤沢宿の間は高台になってます。その高台の上に出るための坂が大坂です。
その名のとおりけっこうな長さがある坂道です。
かつては戸塚宿に近い下部を一番坂、上部を二番坂と呼んでいたそうです。
坂の途中に説明板があります。

大坂の説明

ここに江戸時代末の嘉永6年(1853)に仇討ちがあったと、それだけ書かれた一文があります。
詳細がまったく書かれていないこの仇討ち事件、いったい何があったのでしょう?

江戸幕府は仇討ちを許していました。
ただし要件を付しており、それは3点ありました。
1.親や兄など目上の親族を殺した相手に対するもの
2.仇を探しに行く前に主君や領主に届け出る
3.仇を見つけたら主君や領主、代官などに届け出てから討つ
ただし3については、せっかく見つけた仇に逃げられる恐れがあるため、事後の届け出も許されていました。

歌川国芳「伊賀越敵討の図」

この3つの要件、けっこうファジーなところもあったらしく、例えば「伊賀越え鍵屋の辻の決闘」として知られる渡辺数馬と荒木又右衛門らによるものは数馬の弟の仇討ちですが、彼らは処罰されていません。

さて、そのような届け出に基づいて作成されたと考えられる顛末書が、大坂の仇討ちの場合は残っています。
これは活字に直されたものが「戸塚郷土誌」に「二番坂の仇討ち」として掲載されています。

私は古文書を読む勉強をしたことがないので、江戸時代の難しい言葉遣いだし、漢字ばっかりだし、読めない字や意味のわからない字が多くて苦労しましたが、根気よく読んでいるうちに、何が起こったのかなんとなくわかりました。

わからない漢字は読み飛ばした上で要約してお話しします。
内容が間違えていたらご容赦ください。

仇討ち事件の起こった嘉永6年は6月3日にペリーが来航し、6月12日に去り、6月22日になんと将軍徳川家慶が没し、7月下旬からは品川沖に台場建設が始まっています。
11月14日には川越藩が台場の警備を命じられている、そんな世情騒然とした中で起こった事件だったのです。

事件の発端は天王信仰に熱心だった川越藩松平家の家臣で、二本榎の同家下屋敷に住んでいた須藤九右衛門が、7月2日に品川の牛頭天王社にお参りに行ったことです。

金鱗堂尾張屋板「芝三田二本榎高輪辺絵図」より
復刻版江戸切絵図©こちずライブラリ

品川の牛頭天王社ですが、東海道品川宿には北品川と南品川にそれぞれ牛頭天王を祀る神社がありました。
北品川の牛頭天王社が現在の品川神社、南品川の牛頭天王社が現在の荏原神社です。

金鱗堂尾張屋板「芝三田二本榎高輪辺絵図」より
復刻版江戸切絵図©こちずライブラリ

仇討ちの発端となった殺人事件は御殿山へとつづく道で起こっていますので、ここで出てくる牛頭天王社は御殿山にある品川神社だと思われます。

品川神社

暮れ六つに牛頭天王社にお参りに出かけた九右衛門でしたが、夜半になっても帰ってこなかったものですから、心配した九右衛門の子の隼太郞、平次郎、金三郎の兄弟3人が探しにでかけました。
すると御殿山へと続く道で、何者かに斬られて倒れている九右衛門を見つけたのです。

九右衛門は懸命の手当の甲斐もなく死んでしまいました。
犯人については「闇夜の中を逃げた。知らぬ者だった」と言ったのみでした。
全然手がかりがないまま当主が殺されてしまった須藤家は悲嘆と憤慨にくれますが、さらに不幸がふりかかります。
当主の九右衛門が横死したため、11月9日に須藤家は家名断絶となり、九右衛門の妻と子供たちは翌日から親戚に預けられることとなったのです。

ところで品川宿では殺人事件が起こったので、近くにあった宇土藩細川家(熊本藩細川家の分家)の下屋敷に問い合わせをしたところ、藩士原伝右衛門の子息原鑊が7月15日に出奔したことがわかりました。

金鱗堂尾張屋板「芝三田二本榎高輪辺絵図」より
復刻版江戸切絵図©こちずライブラリ

日頃から酒癖が悪いと言われていた鑊は、7月2日の夜に外出し翌日になるまで帰ってきませんでした。
このことについて無礼を咎めたことがきっかけで、通りすがりの者に不意に斬りかかり急いで逃げたという怪しい風聞が鑊にあったので、吟味したところ出奔してしまったというのです。

鑊は出奔先から下屋敷出入りの商人駿河屋源之助に手紙を出しており、そこには駿河の妙道寺にいると書かれていたこともわかりました。

広い駿河では鑊がいる寺がどこだかわかりません。
悲嘆に暮れ憤懣やるかたない隼太郞と弟の平次郎、金三郎は、父九右衛門の仇を討つことを誓うのですが・・・

→復讐編につづく

   

(歩き旅応援舎代表 岡本永義)

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