2024.9.21
戸塚宿を出て大坂を上って以来、高台の上を歩いてきた東海道ですが、遊行寺坂上の交差点から本格的に下り坂となります。
この坂は遊行寺坂、別名が道場坂といい、藤沢宿の入口にあたる坂道です。
坂下にある遊行寺は時宗の念仏道場です。そのために遊行寺坂とか道場坂と呼ばれるようになりました。
この坂は左右が崖になった窪んだ地形の中にあります。
高台からその下にかけて掘り抜いて道を造ったとも考えられますし、もともと谷間だったところに道を造ったとも考えられます。
江戸時代後期にの絵図にはすでに描かれていますから、そのころにはすでに坂の両側が崖だったことがわかります。
ただし、その絵図にも現在の道を歩いても、自然の谷間だったならあるべき川が流れていません。
すべて人工的に掘って造った道なのか、もともと谷間だったのかは判断が付きませんが、以上のような状況から古くから現在のような坂道だったのは間違いないでしょう。
もしかしたら坂の下にある遊行寺が建立された鎌倉時代ころに、道が造られたのかもしれません。
これは国土地理院のサイトにある色別標高図です。
地図の中央を交番から遊行寺にかけて縦に描いてある道が道場坂です。
坂の途中には一里塚がありました。
日本橋から12里目として造られた一里塚です。
ただ、道が掘り抜かれて造られていたものですから、一里塚も東海道の両側の崖の上にありました。
この坂道の途中に藤沢宿の入口である江戸見附がありました。
江戸時代には道の両側に土居が設けられていたのですが、土居は撤去された上に道路の拡張もあり、土居があった正確な場所はわからなくなっています。
この藤沢宿の入口である江戸見附の前、坂の左手の崖の上に諏訪神社があります。
上の写真の右上に鳥居が写っている神社です。
もともとは遊行寺の鎮守として、遊行寺の開山である呑海上人が建てたものです。
明治の神仏分離によって、遊行寺から独立した神社になりました。
坂の途中には信号も横断歩道もないため、今では諏訪神社と遊行寺を行き来するのはたいへん不便になっています。
江戸見附をすぎて坂を下ると、右手に遊行寺の東門があります。
遊行寺は正式名称は清浄光寺、時宗の総本山です。
一遍上人に始まる遊行上人も遊行寺にいらっしゃいます。
現在の遊行上人である他阿一浄上人は75代目、103歳で亡くなられた先代の他阿真円上人が74代目です。
なお、遊行上人は他阿真円上人までは終身だったのですが、現在の他阿一浄上人からは任期制になったそうです。
道場坂を下りきると右に曲がります。
そこに遊行寺の惣門があります。
この門の正面が歌川広重が浮世絵に描いた遊行寺橋です。
橋を渡ると右が東海道、左が江ノ島道です。
藤沢宿はここから右へとむかって続いていきます。
(歩き旅応援舎代表 岡本永義)
東海道歩き旅イベント 参加者募集中
とにかく内容が濃く詳しい、それなのに参加費がリーズナブル。
それが歩き旅応援舎の東海道歩き旅イベントです。
「日帰りで歩く東海道」 日本橋~原宿を日帰りで歩きます。全15回
「京都まで歩く東海道」 原宿~三条大橋を一泊二日で歩きます。全18回
それぞれ月に1回ずつ歩いて、東京の日本橋から京都の三条大橋をめざすイベントです。
以下のイベントが参加者募集中です。途中からでもご参加いただけます。
このブログには書いていないことが、実際の東海道にはいっぱいあります。
もっとくわしくお話をしながらガイドがご案内いたします。
一緒に東海道を歩きませんか?
人生の宝となるような経験、そのためのお手伝いをいたします。
- 京都まであるく東海道 第8期 磐田~国府開催日
10月5~6日 磐田~高塚(受付終了)
11月2~3日 高塚~二川宿
12月7~8日 二川宿~国府
参加費 各回5500円 - 日帰りであるく東海道 第3期 大磯宿~国府津開催日時
10月26日9:00~17:00ころ
参加費 3500円 - 日帰りであるく東海道 第4期 国府津~元箱根開催日時
11月23日9:00~16:30ころ 国府津~小田原宿
12月28日9:00~16:30ころ 小田原宿~箱根湯本
1月25日9:00~16:30ころ 箱根湯本~元箱根
参加費 3500円
※当面の間は日本橋から新たに出発する予定はありません。上記のイベントへのご参加をお勧めします。
最新のブログ記事
- 馬入川の橋 明治時代に造られたレンガ遺構が今も残る橋馬入川にかかる馬入橋。ここを渡りながら左を見ると、鉄道橋の馬入川橋梁が見えます。ここには明治20年に造られた鉄道橋の遺構が、今も残っているのです。
- 旧相模川橋脚 関東大震災で発見された源頼朝因縁の橋の遺構源頼朝は相模川に架けられた橋の渡り初めの帰りに落馬し、その後没したとされています。その因縁の橋の橋脚が茅ヶ崎の東海道沿いにあるのです。
- 茅ヶ崎市役所の石灯籠 徳川将軍墓所から移設された石灯籠の謎!茅ヶ崎市役所前の緑地には、東京上野の寛永寺にあった石灯籠が移設されています。ところがこの石灯籠、年月とともにある変化が・・・!?
- 南湖の左富士 東海道を西へ歩いているのに富士山が左に見える謎の地点東海道は富士山の南を通っているので、西に向かって歩くと富士山は右に見えます。ところが茅ヶ崎のある場所では富士山が左に見えるのです。
- 引間城の跡 徳川家康の浜松城のもととなった城跡をゆく徳川家康が築いた浜松城は、それ以前からあった引間城を西側に増築する形で造られました。その引間城の跡へと行ってみました。
- 教師・若松幹男 明治初期の茅ヶ崎の学校で起こった衝撃の事件明治6年に茅ヶ崎に学校が開かれました。その3年後、この学校で行われた定期試験がきっかけとなって衝撃的な事件が起こります。その事件とは・・・?
- 茅ヶ崎の松並木 東海道五十三次最初の松並木の今とむかし日本橋から東海道を歩き始めると、最初に松並木と出会う場所が茅ヶ崎です。それ以前にも松並木はあったのですが、茅ヶ崎以東のものは失われています。
- 源頼朝落馬の地 頼朝の死の原因とされる落馬と東海道の深い関わり源頼朝は落馬が原因で死んだと言われています。落馬したのは当時の東海道だったと思われるのですが、はたしてその場所とは?
- 四ッ谷の大山道 東海道藤沢宿と平塚宿の間にある阿夫利神社への道東海道藤沢宿と平塚宿の間にあった立場から出ている大山道。その追分には道標や鳥居が残っています。
- 大庭城と舟地蔵 東海道の北にある水に浮かぶ城に伝わる伝説東海道を藤沢宿から平塚宿に向かう途中、北に大庭城があります。そこには難攻不落の城と茶屋の老婆の伝説があるのです。