2024.9.23

今の神奈川県内では、庚申信仰が盛んでした。東海道五十三次のひとつである藤沢宿も、庚申信仰が盛んなところでした。

→庚申信仰とは? 「大坂の庚申塔群」

藤沢宿の遊行寺前から始まる江ノ島道沿いには庚申堂があります。
その境内は庚申塔でいっぱいです。

藤沢の庚申堂
庚申堂境内の庚申塔群

藤沢宿内の常光寺、白旗神社、伊勢山公園にも庚申塔があります。

常光寺の庚申塔
白旗神社の庚申塔群
伊勢山公園の庚申塔

そして藤沢市公民館の分館である済美館の裏にも多くの庚申塔があります。
ここは地元で弁慶塚と呼ばれている場所で、江戸時代には王子権現のあったところです。

弁慶塚の庚申塔群

ここには藤沢宿にあった多くの庚申塔が集められています。

庚申塔

お? この三猿は?

踊る三猿

三猿が踊っている?!

このちょっと変わった庚申塔、本来だったら「見ざる聞かざる言わざる」の三猿が彫ってあるべきところに、踊る猿たちが描かれています。

なぜなのか?
そのヒントは台座に並んでいる人名にありました。

庚申塔台座の人名

ここに書かれている名前は、庚申塔を建てるにあたって庚申講を開いていた人たちです。
このうちの一番右、つまり筆頭に「小松屋」と書いてあるということは、小松屋が中心となって庚申講が行われていた、あるいは小松屋で庚申講が行われていたとも考えられます。
そして小松屋は自分の店にいた飯盛女、つまりは遊女たちを自家の墓域に埋葬していた旅籠なのです。
飯盛女は死ぬと無縁仏として葬られることが多かったので、このように自家の墓域に埋葬されるのは珍しいことでした。

小松屋墓域の飯盛女の墓

このような飯盛女と呼ばれた遊女たちがいる旅籠を食売旅籠と呼びます。
食売旅籠は旅人の宿泊ばかりではなく、遊女のいる妓楼としても機能していました。
つまり飲めや歌えやの遊興の場です。

飲んで歌ったら、踊れや!

ちょっと珍しい庚申塔から、遊郭化した旅籠の姿の一端が垣間見えてきます。

   

(歩き旅応援舎代表 岡本永義)

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