2024.9.27

東海道を歩いて藤沢宿から平塚宿へと向かいます。
途中に藤沢市城南というところがあります。
東海道の右側、つまり北側の地名です。

その名のとおり、東海道の北側に大庭城という城があったことが地名の由来です。

この付近は鎌倉権五郎という半ば伝説化した武士が平安時代に所領としていたところで、その子孫とされる大庭景親は挙兵したばかりの源頼朝の最大の強敵となった武将です。

その大庭景親の屋敷があったと伝わる場所に、室町時代に大庭城がありました。

大庭城址公園

城跡は現在公園となっていて、土塁や堀が残っています。

土塁の跡
空堀の跡

ただ、東海道からはちょっと遠いです。
1.7キロくらい北にあります。

大庭城は引地川と小糸川が合流する地点で、2つの川にはさまれた場所にあります。
まさに要害の地といってよいでしょう。

北条早雲と呼ばれることが多い戦国時代の武将伊勢宗瑞が、この大庭城を攻めたという伝承があります。

周囲を豊かな水に囲まれた大庭城は、なかなか攻め落とすことができませんでした。
しかし東海道沿いに茶屋を出していた老婆から、大庭城の周囲の水は引地川を堰き止めたもので、その堰を開ければ水を引かせることできると宗瑞は聞き出します。

城の周囲の水がなくなれば城を落とせる、これを実行するため口封じとして茶屋の老婆を殺害すると、宗瑞は堰を開いて水を落とし大庭城を攻め落としたのでした。

里人たちは殺された老婆を哀れみ、舟に乗った地蔵を建てて弔ったということです。

舟地蔵

大庭城を伊勢宗瑞が攻めたという記録はまったく見つかっておらず、この話は伝承にすぎません。
また、舟地蔵も栃木県にある高勝寺の岩船地蔵信仰が、関東南部にわたって広まったというのが本当のところだと考えられています。
引地川と小糸川の合流点でたびたび起こった洪水が、大庭城の城跡と岩船地蔵信仰に結びついて形成された伝承だというのです。

それでも東海道沿いには大庭城にちなんだお菓子が売られています。
和菓子処丸寿さんの大庭城最中です。

大庭城最中

天守閣の形をした最中の中にほどよい甘さのつぶあんがはさまれたおいしい最中です。

「戦国時代の城に、天守閣があったの?」

なんてツッコミをしてはいけません。おいしい和菓子はそれだけで正義なのです。

このお店には他にも創作菓子が多数売られています。
例えば湘南名物のしらすを使った「湘南どらやき しらす」。
匂いもしらす、味もしらすなのに、しらすの味が白餡とカステラ生地にマッチしてとてもおいしいのです。
しらすがどら焼きと合うなんて知りませんでした。

東海道を藤沢宿から平塚宿に向かう途中にお店があります。
是非お試しください。

   

(歩き旅応援舎代表 岡本永義)

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