2024.10.17
平塚宿に行くと、江戸方見附の石垣が復元されています。
公民館前の石垣は、平成13年(2001)の東海道宿場制制定400年を記念して復元されたものです。
この復元見附石垣と説明文を読んで、この場所が平塚宿の入口と思っている人も多いことと思います。
たしかに最初はここが平塚宿の入口だったのですが、平塚宿は慶安4年(1651)に東に加宿が行われ、宿場の入口はそれにともなって東に移動しているのです。
そのため慶安4年から明治5年の東海道宿場制廃止までの約220年間の平塚宿の入口はどこにあったのか?
今回はその場所を探します。
慶安4年に加宿されたのは平塚八幡宮の門前町で、それ以降は平塚新宿と呼ばれていました。
文久2年(1862)の「平塚宿平塚新宿宿立帳」によると、従来の平塚宿の入口だった見附石垣から平塚新宿までの間には2町32間(約276メートル)にわたって松並木がありました。
江戸時代後期の絵図を見ると、平塚宿の江戸側の見附石垣から東に向かって松並木がつづいています。
その松並木が終わるところに道祖神が描いてあり、その近くには「西宮大神宮」という社殿が描いてあります。
そしてここから平塚八幡の門前町の家並みがつづく様子が描いてあります。
「東海道宿村大概帳」には、この「西宮大神宮」を「蛭子宮」と記してあります。
現在の恵比寿神社です。
神社の前に道祖神も移してあります。
ここから東が平塚八幡の門前町、つまり平塚新宿だったわけです。
さらに江戸時代後期の絵図を見ると、平塚新宿の家並みの一番東のはずれには祠と「神明」の文字が描いてあります。
「東海道宿村大概帳」に「神明宮」と書かれている神社です。
つまりこの神社から直近の東海道が、慶安4年に加宿があってから明治5年の東海道宿場制が廃止されるまでの平塚宿の入口だったのです。
その場所が現在のどこなのかはちょっとわかりにくいのですが、平塚駅前からまっすぐ北に延びているフェスタロードの少し東と考えられます。
その場所が特定しにくい一番の原因は、現在は神明宮がなくなっていることです。
ただしヒントになるものはあります。
「東海道宿村大概帳」には神明宮は大光院持ちと書いてあります。
神仏分離前の江戸時代には、仏教施設と神道施設が1つの宗教施設の中に同居しているのは当たり前でしたし、それ以外の信仰要素が混ざり込んでいることもよくありました。
大光院は修験道の道場でしたが、平塚新宿の東の入口付近にあった神明宮は大光院が管理していたということなのです。
そして江戸時代後期の絵図には、神明宮の少し北西に「不動 修験大光院」と描いてあります。
この大光院は明治初めの神仏分離によって修験道場から仏教寺院になってしまいました。
明治29年測量昭和2年発行の地図には、それらしいものが描いてあります。
ただしこの地図では大光院らしきものに地図記号が付されてないため、はっきり断言できません。
また、町並みの東のはずれに神明宮と思われるものも描いてありますが、これも同じ理由で断定できません。
東海道から北に延びる大光院の参道はかつては不動大門と呼ばれて多くの商店が軒を連ねており、平塚八幡宮の参道である八幡大門とならんで賑やかな通りだったそうです。
ところが大光院は第二次大戦中の平塚空襲で全焼してしまいました。
そのため周囲の町の人たちがお金を出し合って昭和45年に再建されたのが、現在の大光不動尊です。
焼失前は200坪あったそうですから、だいぶ規模が縮小しました。
それに今は不動大門という言い方はなくなり、もともと参道だった道の商店街は「不動会」となっています。
江戸時代の絵図には神明宮は大光院の参道よりも1本東の道の奥に描かれています。
つまり神明宮のあったところは、だいたい不動会の道の少し東、だいたい現在の東雲公園があるところ付近だと考えられます。
東雲公園から東海道に出たところには、明治安田生命があります。
つまり慶安4年の加宿以降の平塚宿の入口はこのあたりと思われます。
正確な場所まで特定することはできませんでしたが、明治にいたるまでの220年余りの間に平塚宿の入口があった場所は、復元された見附石垣のある場所よりもずっと東、フェスタロードよりさらに東だったと考えられます。
(歩き旅応援舎代表 岡本永義)
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