東海道平塚宿から大磯宿に行くためには、花水川を渡ります。
川をわたると左手にあるお寺が善福寺です。
平安時代末から鎌倉時代にかけて伊豆半島に割拠した武士伊東一族出身の伊東祐光が、笠間から京都に戻る途中の親鸞聖人に弟子入りして出家し、了源と名乗りました。
二人が出会ったのが、親鸞聖人が国府津でしばらく布教をしていた真楽寺の御勧堂だといわれています。
東海道を歩いていくと、国府津駅を過ぎたくらいで左手に見えてきる石造りの御堂です。
今の御勧堂は信者が石造りに建て替えたもので、親鸞聖人の滞在していたころは屋根だけで壁のない四阿のようなものだったようです。
善福寺の伝えでは親鸞と出会って出家したことになっていますが、了源上人というひとは異説の多い人です。
了源上人が建てたと伝わるお寺は、私が知っているだけでも3ヶ寺あるのですが、それぞれのお寺に伝わる了源上人の出家に至るまでの人物が少しずつ異なるのです。
その了源が鎌倉時代に大磯に建立したのが善福寺です。
このお寺には文化財指定を受けている仏像があります。
国指定重要文化財の木造伝了源坐像と、神奈川県指定重要文化財の木造阿弥陀如来立像です。
門を入ると右手にそれぞれの仏像の説明板が立っています。
木造阿弥陀如来立像はこのお寺のご本尊ですので、本堂のガラス越しに正面に見ることができます。
鎌倉時代初期の仏師快慶の製作様式を踏襲している仏様です。
本堂内のご本尊は金色をしていて、後背が付いています。
また、ご本尊の向かって右に座っている伝了源坐像は室町時代中頃に製作されたと考えられている仏像です。
了源は先に書いたとおり善福寺を建てたと伝わる僧侶ですが、この仏像は善福寺では親鸞聖人像と伝わっています。
他の親鸞聖人像とはちょっと違うのでは? というのが文化庁の見解で、それで「『伝』了源坐像」となったそうです。
ただし善福寺には「親鸞聖人像」と書かれた書面が残っているそうですし、美術大学が調査したところ他の親鸞上人像との共通点も多数見つかったそうです。
りっぱな仏像を所蔵する善福寺ですが、このお寺に参拝したらぜひ本堂の左にある岩山を見てください。
ただの岩じゃありません。
大きな穴がボコボコと開いているのです。
この岩山の穴、見てピンと来た人もいらっしゃるでしょう。
横穴式古墳(横穴墓)なのです。
平塚の塚や丁髷塚が本当は古墳時代に造られた古墳などではないかというお話をしました。
→平塚の地名由来
大磯から平塚にかけては古代から人が住んでいた地域で、大磯宿の東の山間や西にある城山公園には今も多くの横穴墓が残っています。
この善福寺の岩山にも横穴墓が残っているのです。
「お寺に墓があるのは当たり前ではないか?」というご意見もございましょうし、それもごもっともなお話ですが、せっかくの古代のお墓ですので、ここはやはり見ていきましょう。
(歩き旅応援舎代表 岡本永義)
東海道歩き旅イベント 参加者募集中
とにかく内容が濃く詳しい、それなのに参加費がリーズナブル。
それが歩き旅応援舎の東海道歩き旅イベントです。
「日帰りで歩く東海道」 日本橋~原宿を日帰りで歩きます。全15回
「京都まで歩く東海道」 原宿~三条大橋を一泊二日で歩きます。全18回
それぞれ月に1回ずつ歩いて、東京の日本橋から京都の三条大橋をめざすイベントです。
以下のイベントが参加者募集中です。途中からでもご参加いただけます。
このブログには書いていないことが、実際の東海道にはいっぱいあります。
もっとくわしくお話をしながらガイドがご案内いたします。
一緒に東海道を歩きませんか?
人生の宝となるような経験、そのためのお手伝いをいたします。
- 日帰りであるく東海道 第4期 国府津~元箱根開催日時
11月23日 国府津~小田原宿
12月28日 小田原宿~箱根湯本
1月25日 箱根湯本~元箱根
参加費 各回3500円 - 京都まであるく東海道 第8期 磐田~国府開催日
10月5~6日 磐田~高塚(受付終了)
11月2~3日 高塚~二川宿(受付終了)
12月7~8日 二川宿~国府
参加費 各回5500円 - 京都まであるく東海道 第9期 国府~熱田宿開催日
2025年
1月12~13日 国府~岡崎宿
2月1~2日 岡崎宿~前後
3月1~2日 前後~熱田宿
参加費 各回6000円 - 日帰りであるく東海道 第1期 日本橋~生麦開催日時
2025年
1月18日 日本橋~品川宿
2月15日 品川宿~蒲田
3月15日 蒲田~生麦
参加費 各回3500円 - 日帰りであるく東海道 第1期 日本橋~生麦開催日時
2025年
4月13日 日本橋~品川宿
5月11日 品川宿~蒲田
6月15日 蒲田~生麦
参加費 各回3500円
※当面の間は日本橋から新たに出発する予定はありません。上記のイベントへのご参加をお勧めします。
最新のブログ記事
- 宮代屋事件 明治初期の大磯で起きた大事件明治前期の日本を襲った大不況の中で、大磯宿では凄惨な事件が起こっています。東海道沿いに説明板などは設置されていませんが、事件を伝える碑があります。
- 茶屋の薬師堂 夜に歩く石地蔵の謎相模国二宮の川匂神社、その参道は東海道から始まっています。参道入口にある薬師堂には、夜になると地蔵が歩くという伝説があるのです。信じますか?
- 吾妻神社 なぜ二宮町にヤマトタケルの伝説があるのか?二宮町に入った東海道を歩いていると、吾妻神社の鳥居があります。ここが参道入口で、吾妻山を登ったところに神社があります。ヤマトタケルの妻を祀ったこの神社、その由緒とは?
- 等覚院 「藤巻寺」と呼ばれる二宮町の真言宗寺院二宮町にある等覚院は「藤巻寺」の異名のあるお寺です。徳川家光や仁和寺宮も鑑賞した藤とは、どのような花なのでしょうか。
- 国府本郷の一里塚跡 大磯の西にもあった一里塚の跡東海道には一里塚が設置されていました。大磯宿の西にもありました。一里塚の説明板が設置してあります。でも本当に一里塚があったのはここではなくて・・・
- 大磯切通し 戦国武将はなぜ大磯に陣を布くのか?東海道大磯宿から西へと歩いて行くと、道が切通しを通ります。江戸時代前期にはすでにあった切通し。この切通しのおかげで大磯は戦国時代の重要地になりました。
- 鴫立庵 西行ゆかりの大磯宿最大の観光名所江戸時代初期に成り立った鴫立庵は、江戸時代の東海道大磯宿で最大の観光スポットでした。現在も年間1万人もの人が訪れる鴫立庵を簡単に紹介します。
- 海水浴発祥の地 混浴禁止?! 医療行為?! 大磯の初めて物語日本最初の海水浴場が開かれたのが、かつて東海道の宿場として賑わっていた大磯でした。でも、当初の海水浴はいまとはだいぶ様子が違っていたようです。
- 榮太樓の別荘 日本橋の老舗が大磯宿に築いた別荘日本橋の南詰にある和菓子の老舗榮太樓総本舗。この店の主人の別荘が大磯宿にあったのです。今も残るその遺構とは?
- 東海道五十七次(3) 江戸幕府が京街道を管理下においたのはなぜ?もともとは江戸と京都とを結んでいた東海道が、後には豊臣秀吉が整備した京街道と接続され、東海道が五十七次となりました。この大阪までの道を、江戸幕府が管理しようとした理由は何だったんでしょう?